「読者がおそらく一番驚くのは、ヒトが文化的な行動として行っていることや、文明によって生じた主要なことは、たいてい昆虫が先にやっているという事実だろう。そのことを知るにつれ、われわれは昆虫のなかにどうしてもヒトの姿を見てしまう。」(丸山宗利著『昆虫はすごい』光文社新書より)
夏休みの自由研究に付き合ったこともあり、この夏は昆虫と向き合う機会を得た。昔から昆虫図鑑を眺めるのはきらいではなく、今でもある程度の名前は出てくるのがちょっとした自慢。自由研究ではアゲハの幼虫を観察飼育した。2匹を飼育したが、1匹は寄生虫にやられ、黒いハチのような昆虫が出てきたときは少しぞっとした。だがもう1匹は蛹となり、無事蝶になって飛んでいった時はちょっとした感動があった。ちなみにクロアゲハ系で恐らくナガサキアゲハだったと推測している。
家のプランターで育てているパセリが、夏の終わりごろからいつも食い荒らされている。犯人はいつも同じ。キアゲハの幼虫だ。夏の盛りを過ぎたころ、飛来しているのを目撃する。アゲハやクロアゲハの幼虫は単色だが、キアゲハの幼虫はビビッドなカラーが特徴。だが、デザイン的にはあまり好きになれないので、感情移入しにくい。ちなみにアゲハ幼虫の代名詞である、くさい臭いを出す触覚はいずれも持っている。さらに、キアゲハの幼虫はパセリやニンジンの葉を好み、以前ミニキャロットもやられていた。それも感情移入しにくい理由である。自分から見れば害虫なのだから。パセリにビッシリ張り付き、すぐに茎だけ残して丸裸だ(もうだめかと思っていると、冬ごろに葉が出始めているから、パセリの生命力もすごいといつも感心する)。今年は自由研究の名残りからか、いつもより注意して見た。するとどうだろう、どう見ても葉の量と、幼虫の数が合わない。需要と供給のバランスが悪く、明らかに需要が多い。つまり幼虫が多過ぎるのだ。あっという間に葉がなくなる。気が付くと幼虫もいなくなっていた。熾烈な生き残りの中で、いち早く蛹になり、蝶となる先行者利益を享受できた者はいたのだろうか。それともサバイバルゲームに巻き込まれ全軍総崩れか。残念ながらそこまで確認できなかった。
少ないマーケットにわっと集まり、限られたパイを奪い合う。どこかで見た光景だ。商業的に言えばオーバーストアか。共存するにはどうしたらいいのか。数を減らすか、マーケットがあるところに移動するということか。昆虫は示唆に富む。