床屋は街のコミュニティ。
赤白青のサインポールは街のアイコン
街には色々な人の集まる場所があり、地域のコミュニティを形成する役割を担う。集会所や公民館、学校などにとどまらず、近年では商業施設などがかなりその役割を担っている。床屋もそのひとつだろう。
ここ十数年、散髪はもっぱら横文字ふんだんの美容室を利用していたが、最近気に入った床屋を見つけ、文字通り“理容”しているのである。そして改めて床屋の工程が自分に合っていることを再認識した。
髪を切り、洗髪し、髭剃り。ここからは至極の時間が待っている。席のフットレストが前方にせり出し、半ば仰向けのような態勢となる。ぼんやり天井を見つめていると、熱い蒸しタオルが顔を覆う。するとどうだろう、ついウトウトとするのだ。やおら、カミソリがおでこやアゴなどに当てられヒゲだけでなく、老廃物まできれいさっぱり削ぎ落としてくれている。
昔、通っていた床屋では耳たぶや耳の内側も慎重にかつ手際よくさっとカミソリを当て、むだ毛を処理していた。しかし、現代では耳毛トリートなるカッターが登場しており、これでぐいぐい処理してしまうから驚きだ。さりげなく聞いたらやはりカミソリは危ないからだそうだ。ハイテクも否定しないが、危険部位ほど匠の業が光り、任せて安心の相互関係が醸成される。
ついでながら、今通っている店ではひげ剃りは若い女性が担当することが多い。個人的にはもう少し肌に刃を当てる強さを上げてもらいたいのだが、そこは万が一切ってしまったらという危険との隣り合わせだ。肌を見て瞬時に強度を測れるような技術力向上に期待だ。
くだんの店は、50~60年代のアメリカをイメージした店なので店内には心地よいオールディーズが響く。ああ昔はラジオの情報番組だったなとの記憶が蘇りつつ、再び居眠りしながら過去にタイムスリップする。
そこは小学校時代に通った街の床屋だ。行けばだいたい顔馴染みが一人や二人はいる。おしゃべりしたり、漫画を読んだりして過ごす。何か大きなイベントの前日は、地域の子どもでごった返し、夜10時までかかったこともある。
そんな拠点だから、床屋の主人は地域の情報に精通している。髪を切りながら、情報を仕入れるのだ。さりげなく聞き出すことも少なくない。成長に連れて色気が出てくると、単なる調髪では物足りず、色々試したくなるのだ。床屋の主人は○○君はこんな髪にしていたよとか。あまりに情報漏洩するので、よく思っていない輩もいたとか。
だが憎めないその主人、逸話も多い。語り草になっているのは友だちがある日、「角刈りにして下さい」と言ったら、「ウチは角でも丸めますよ」。