幸楽苑の発表会には福島県出身の
武田玲奈さん(右)と、新井田 昇社長が登場
令和時代になってから、ラーメン店の周年イベントや、それに合わせた新メニューの開発が多い。この秋までに「東京ラーメンストリート」「リンガーハット」「幸楽苑」「日高屋」「一風堂」の催しで、様々な新メニューを食させていただいた。
「幸楽苑」は、65周年「創業祭」を9月に開催し、前半に限定復活第1弾「餃子クラシック(Classic)」を、後半に第2弾「中華そばクラシック(Classic)」を販売した。第1弾は20年前の味を再現した昔懐かしい家庭的な味わいの餃子、第2弾は長く愛された幸楽苑の看板商品の中華そば。それぞれ34万食と52万食が販売されたとの報告。なつかしいメニューとともに、時代や歴史を振り返り、“温故知新”をもたらす令和時代の復刻ラーメンは乙であった。発表会には、「幸楽苑」の本社所在地と同じ福島県出身のモデルで女優の武田玲奈さんが駆けつけ、「『幸楽苑』のラーメンは家族とともに食べた懐かしの味。メニューにある色々なラーメンを制覇した」と語った。
日高屋では放送作家の
たむらようこ氏(左から2人目)と、
高橋 均社長(右から2人目)が発表
また、「日高屋」を運営するハイデイ日高は人気ナンバーワンメニューの餃子を、消費増税が始まった10月から、8年ぶりにリニューアルした。一番の特徴は、皮を薄く、よりパリっとした食感を追求した点。また豚肉を増量してジューシーさを増し、スープの旨みを堪能できるようにした。筆者は個人的に、以前の厚皮の餃子が他社と差別化が際立っていて好きなのだが、「新餃子」を食べ慣れていくうちに美味しく感じ、好みも増すのかもしれない。発表会には、ウェブCMを手がけた放送作家のたむらようこさんが現れ、自身が「日高屋」の大ファンであることを明かした。「日高屋」は、増税直前の9月30日に東京・東銀座店で「ゆく餃子・くる餃子 カウントダウンセレモニー」を開き、令和の餃子を祝った。
さらに「一風堂」を運営する力の源ホールディングスは、10月7~9日の期間、世界14カ国・地域のスタッフを日本に集めてグローバル研修を行った。この一環として10月8日に、「一風堂浜松町スタンド」で海外スタッフによるオペレーション(ラーメン作りや接客)で模擬営業し、海外人材が日本の客をもてなした。海外旅行をして赤丸スペシャルを食した気分になった。令和は、日本の外食産業も、国内外で外国の消費者や従業員と共生しながら、事業発展する時代なのだろう。
このほか秋前の夏に遡るが、リンガーハットは7月に東京・銀座で、人気の長崎ちゃんぽん店ではなく、卓袱(しっぽく)料理の「長崎卓袱浜勝」で記者向け試食会を開いた。卓袱料理はテーブルや器に異国情緒があり、江戸時代に鎖国していた日本の西端で、貿易をしていた長崎の世界観を感じる料理だ。東京でも、優美な食事と空間での心づくしのもてなしに魅せられる人が多いことだろう。
また、東京駅一番街「東京ラーメンストリート」を運営する東京ステーション開発は、6月に開業10周年記念記者勉強会を開いた。施設内の「塩らーめん専門 ひるがお」「とんこつらーめん 俺式純」店主の前島司氏(せたが屋代表取締役)と、「東京駅 斑鳩」「東京の中華そば ちよがみ」店主の坂井保臣氏(マーベル代表取締役)が登場し、東京駅構内施設ならではの経営の魅力と苦労、努力話を披露した。集客への努力と試行錯誤は、10年経った人気施設で今でも続いている。
ラーメンは「拉麺」「老麺」「柳麺」などの漢字表記があり、「拉麺」は延ばして作る北京の麺文化、「柳麺」は麺を棒で伸ばして平たくしたものを包丁で細かく切った中国南方の麺文化だという。日本のラーメンは、中華圏では「日式」と呼ばれて人気があるほか、直接日本へ旅行して食べにくる外国人も数多い。
日本のラーメンの歴史は、1697(元禄10)年に水戸中納言光圀公が日本で最初に食べたとか、京都の相国寺(室町時代の三代将軍である足利義満公が創建)の僧侶の日記「蔭涼軒日録」(1488(長享2)年)にラーメンを食した記録があるなど諸説あるが、横浜開港とともに、中国料理の白濁した豚骨の塩スープの麺が上陸し、中国人向けに提供され、その後日本人の好みに合うような鶏ガラ醤油スープ味のラーメンが開発された、とされる説が一般的だ。
元祖とされる「来々軒」は、東京・浅草で1910(明治43)年に開業した、と新横浜ラーメン博物館のウェブの歴史年表には記されている。歴史も人気もある日本のラーメンは、魚介系、野菜を盛った健康指向、つけ麺、こってり味など、進化が止まらない。令和の時代とともに、世界を平和に、美味しくつないでほしい。