商業施設新聞
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No.498

東日本大震災被災地、恒久住宅への入居が課題


登坂 嘉和

2015/3/17

 早いもので東日本大震災の発災から3月11日で4年が経過した。この間、復興へ向けて被災者や地元自治体、さらにボランティアも協力して、生活再建へ懸命に取り組んできた。避難者数は当初の約47万人から2014年10月時点で約23万9000人へと減少、ただ仮設住宅や一時利用の公営住宅、民間借り上げ住宅などの入居者は21万3796人で、依然として被災者の多くは厳しい状況にある。一方、3月1日には常磐自動車道が約半世紀の時を経て全線開通した。12月には仙台市地下鉄東西線が開業を予定しており、経済や観光に与える好循環が期待されている。

 4年前の東日本大震災は東京・有明の東京ビッグサイトに居て、大きな揺れが長く続き、展示会場の柱と梁の側で難をやり過ごした。その後、20kmほど歩いて帰宅したが、その時の経路は未だに記憶に残っている。そして3月下旬には被災地の東北を訪れたが、発災後間もない時期であり、生々しいうねりとヒビが残る東北自動車道を細心の注意で走行した。また行き交う車両は自衛隊や警察の自動車で、“こんなに多くの車両がどこにあったのか”と驚いたことを思い出す。

石巻・日和山から南浜町を望む
石巻・日和山から南浜町を望む
 石巻市では、浸水地区の道路はヘドロが堆積し、日和山南側の南浜町と門脇町は津波で押し流された家屋や自動車などでガレキの山となり、被災者を救助するための道路をなんとか確保した状況だった。多くの被災者は放心状態か虚ろな表情で、食品や衣料品の配給所に並ぶ姿が印象的だった。

 これまでに岩手県と宮城県、福島県の沿岸部を何度も訪れて復旧の状況を記録してきたが、そのたびにガレキが処理され、残る鉄筋コンクリートの建物も解体されて、福島県の原子力災害被災地を除いてほとんどが更地となっていった。

 一方、生活や経済、復興の基盤となる道路や橋はいち早く復旧し、病院や学校などの再建も急ピッチで進む。特に今年3月1日に全線開通した常磐自動車道は、福島第1原子力発電所の西側を通る常磐富岡IC~浪江IC(約14.3km)が最後の整備区間となり、この開通により埼玉・三郷JCから宮城・亘理IC(約300.4km)が直結し、仙台東部道路を経由して三陸自動車道へ接続した。これにより東北自動車道と2つの基幹道路が整備された。

 昨年、東北被災地を訪れた際の帰路は、南相馬ICから内陸部へ迂回して郡山市へ抜けたが、これが開通したことは地元にとっても利益になると思われる。常磐自動車道沿線ではすでに南相馬鹿島SAと、ならはPAがオープンしており、物産館や情報発信コーナーも開設されている。5月の連休に東北地区を訪れる際はぜひ利用したいものである。

クライストチャーチの「185 Empty Chairs」
クライストチャーチの「185 Empty Chairs」
 先の3月1日には英国のウィリアム王子が石巻市と女川町の被災地を訪れた。昨年4月には11年2月22日に発生したニュージーランド・カンタベリー地震のあったクライストチャーチのCTVビル倒壊跡地をウィリアム王子夫妻が弔問している。日本の若者28人を含む185人が犠牲となった自然災害だが、この時の思いが東日本大震災の被災地への慰問につながったのだろうか。
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