GEヘルスケア・ジャパン(株)(川上潤代表取締役社長、東京都日野市旭が丘4-7-127、Tel.042-585-5111)は、2月12日に第8回ヘルシーマジネーション・カレッジを開催、一般財団法人キヤノングローバル戦略研究所(CIGS) 研究主幹・経済学博士の松山幸弘氏が「アベノミクスと医療改革」と題して講演を行った。松山氏は、内閣府規制改革会議 健康・医療ワーキンググループ専門員および厚生労働省「社会福祉法人の在り方等に関する検討会」のメンバーであるとともに、豪州ニューサウスウェールズ大学医学部臨床ガバナンス研究センター客員研究員を務め、金融・財政はもとより、世界各国の社会保障制度改革、国内外の医療産業政策に精通している。安倍首相自ら「日本にも、MayoClinicのようなホールディング・カンパニー型の大規模医療法人ができてしかるべきだから、制度を改めるように」と指示を出しており、そうしたホールディング・カンパニー型大規模医療法人による地域包括ケア体制の構築、国際競争力の確保、医療・介護の効率化について解説した今回の講演は、非常に内容の濃いものとなった。
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◆日本の医療研究は基礎研究に偏り、臨床が弱体
松山氏はまず、アメリカ国民のために年間309億ドルの研究費を投資するアメリカの国立衛生研究所(NIH)と、創設準備が進む日本版NIH(仮称)日本医療研究開発機構とを比べ、日本版NIHの発想は依然として基礎研究に偏っており、また、日本は、医薬品・医療機器の研究開発の最終段階である臨床部門が弱体であると指摘した。世界ブランド(世界レベル)の臨床部門(メガ非営利医療事業体IHN:Integrated Healthcare Network)抜きで研究補助金を注ぎ込んでも諸外国に勝てないと強調した。
◆IHNは地域包括ケアの提供とミスマッチ解消
IHNの事業構造においては、予防・早期発見から、急性期医療、リハビリ、長期介護・在宅ケア、終末期ケアに至る連続した継ぎ目のないケアの提供、地域包括ケアのミスマッチ(保険者対医療機関、急性期病院対非急性期医療事業者など、後述)の解消が最重要と指摘する。
IHNの経営形態による分類は、非営利IHN(非営利性公益性が高い、非課税)の(1)公営事業体(公立病院が核、広域の地方独立行政法人のイメージ)の事例として、オーストラリア、カナダのブリティッシュ・コロンビア州、米国の州政府と米軍、(2)公益事業体(民間病院を核にしたIHN、ガバナンスに政府関与なし、米国の場合、補助金無しで資金面でも完全独立)の事例では、米国の多くのIHN、日本では聖隷福祉事業団や長野県厚生連が該当、さらに、中小規模だが日本の社会医療法人の多くが該当する。
営利IHN(営利目的、課税)では、(3)株式会社(株式会社組織の病院がサテライト施設群を建設して形成)の事例として、米国やインドなどの株式会社病院グループが最近、IHNを目指し始めており、(4)持分あり事業体(日本の持分あり医療法人が形成するIHN(配当不可でも売却すれば出資者個人が累積剰余金を全額獲得可能))の事例として、大半の規模が中小であるが、一地域で1000億円超のものもある(板橋、上尾、戸田の中央医科グループなど)ことを挙げた。
◆IHN分類(1)は豪州やカナダBC州が先行事例
分類(1)の事例の、オーストラリアの医療公営企業IHNのMonash Health(メルボルン)は、2013年6月期の担当医療圏人口約100万人(メルボルン市人口の4分の1)、職員数9471人(うち医師数1277人)、事業拠点数40以上、総収入13億4200万豪ドル(約1200億円)を誇り、この収入があれば次の投資が可能である。これは、ホールディング・カンパニー機能を持たない非営利IHNである。
同じく分類(1)のカナダの医療公営企業(ブリティッシュ・コロンビア州、州人口462万人)は、州政府と州医療省/理事人材開発部の組織がガバナンス機能を有している点が特徴であり、収入は131億カナダドル(約1兆2000億円、13年3月期)。
◆中核施設と地域施設との重複投資ゼロ
この医療公営企業では、州全域を担当するProvincial Health Service(1つの医療公営企業)が高度医療センター病院を直営し、州内各地域医療サービス局と連携する。一方で、Health Authorities(5つの医療公営企業)が各医療圏平均人口92万人を担当し、公立病院などを直営、担当する地域医療圏において民間医療関連施設の監督および連携、州各医療サービス局と連携する。ここで重要なのは、Provincial Health Serviceと5つのHealth Authoritiesは、高度医療機器などの重複投資をゼロに抑えているところである。
◆JA長野と聖隷福祉事業団は垂直統合で黒字
(2)では、日本の非営利IHNの事例として、長野県厚生連(JA長野)と(福)聖隷福祉事業団を示した。JA長野は、佐久総合病院(821床)、北信総合病院(622床)をはじめとする病院や、老人保健施設、高齢者施設など70施設を展開。この「垂直統合により」国・公立病院以上に公益機能を発揮しながら黒字経営を達成している。県下(医療圏人口215万人)における年間検診者数は40万人にのぼる。
補助金抜きでも経常黒字なのは、急性期から在宅まですべての機能を担うことで、へき地の病院も含め全病院が黒字となっており、ここから、診療・介護報酬が全体として低すぎることはない。さらに、地域医療崩壊の原因は報酬水準ではないとの結論を導き出している。
聖隷福祉事業団は、聖隷三方原病院(934床)、聖隷浜松病院(744床)をはじめ7病院、特養ホーム16、老人保健施設3、デイ施設22、在宅支援、訪問看護など数多くの施設を運営し、医療・福祉・保健・介護サービスを「垂直統合的」に展開しており、JA長野と同様、補助金無しで黒字である。
◆取引コスト高い医療サービスの統合が不可欠
松山氏は、「地域包括ケアのミスマッチ発生」の決定要因を分析するにあたり、09年ノーベル経済学賞受賞者オリバー・ウィリアムソンの著書『ガバナンスのメカニズム』を引用して、医療における取引コストの高さと、垂直統合した大規模医療事業体の存在の不可欠さを説明する。
垂直統合してすべてを内包している事業体と、分社化ないし分業(業務委託)している事業体を比較し、市場取引の契約交渉が決裂した場合、時間を含めたコストがかからないのであれば、分社化組織を採用できるが、契約交渉決裂のコストが高い場合は、垂直統合したほうが優位である。
◆保険/急性期/非急性期医療統合で利害が一致
医療においては、それぞれのサービスを担当する事業体において、保険者対医療機関は利害が正反対であり、過剰医療をやめることは減収を意味し、その結果、保険者が得をする。また、急性期病院と非急性期医療事業者は患者の奪い合い、収益分配面で競合するというように、医療は取引コストが非常に高い。
ひいては、この競合のため、医療機関の間で患者情報の共有と医療の標準化が遅れ、医療全体の非効率と質の低下を招くことになる。医療においては、保険者と医療機関、急性期病院と非急性期医療事業者が垂直に経営統合し、経済的利害を一致させることで解決できる。そのために、大規模医療事業体、IHNが不可欠であると論じる。現に、イギリスの事業体が保険と医療をセットにして世界展開する動きがあるという。
◆IHNは環境への弾力性や健康向上などにも優位
多様なヘルスケア施設群を垂直統合したIHNでは、経営環境変化のインパクトを事業体内で緩和できる(医療政策による特定診療分野への財源シフト、医療技術進歩による従来設備の陳腐化などに対し、既存の経営資源のあり方を組み替えることでミスマッチ極小化)。また担当地域の医療費総額が拡大する限り増収増益が可能(キャッシュフロー予測精度が高まる分だけ経営リスクが縮小し、資金調達コストが低下)。さらに医療提供部門と保険部門を連結することで収益が安定しイノベーションに必要な財源を自ら獲得できる(経済的利害が逆相関の両部門を連結させることで全体利益の振幅が縮小、自主判断で新技術を保険対象にすることでイノベーションを促し、ブランド向上、Population Health(予防による地域住民の健康向上と医療費節約)に注力可能)といった優位性が備わり、これに非営利ホールディング・カンパニー機能を持たせることで、国や自治体よりも強固なセーフティネット事業体になれると強調する。
◆Sentaraは税率を超える地域還元率50%
松山氏は、非営利IHNである米国Sentara Healthcareにヒヤリングを行った。その組織体としての経営の要諦として、(1)経営管理はトップダウン、臨床はボトムアップ(経営計画、物流、人材育成など臨床の裏方部門の意思決定はトップダウン、臨床プロトコル順守を求めずに医療チームが向上を目指す組織カルチャー醸成を支援)、(2)ベンチマーキングをフル活用(医師個人、診療科、事業拠点単位で評価表を作成、問題点をピンポイントで把握、医師個人の評価表は本人にのみ開示。低評価医師には訓練機会を無料提供)、(3)病院は必要最小規模、浮いた財源で高機能サテライト施設群に投資(コスト高の急性期病院よりサテライト施設の方がアクセス向上に寄与、利益率も高い)、(4)医療ITの100%標準化は目指さない、情報共有カルチャーこそが要(事業拡大とともに増える独立開業医グループは、Sentara Healthcareとは異なる医療情報システムを使っていることが多い。これをすべて標準化するには莫大なコストがかかるため不可、Sentara Healthcareは、2001年に最新医療ITなしでも全米で経営統合度No.1のIHNに選出された。100%標準化しなくても最先端臨床研究に必要なデータ集積ができる事業規模)、(5)毎期利益の地域還元率は連邦・州法人税率を超える約50%(米国の非営利IHNの場合、法人税率免除に経済的インセンティブはない)、(6)技術進歩が加速するなか、地域住民に世界標準の医療を提供する(世界標準医療提供の目的は海外患者獲得ではなく地域住民の満足度向上)と指摘。地域住民のベストを優先し、その結果として海外市場が見えてくると強調した。
◆大学病院・国公立病院を経営統合しIHN化を
また、松山氏は、「非営利IHNは医療IT投資成功のインフラである」と述べ、その根拠として、(1)情報共有の意思がない医療事業体間を電子カルテで結んでも無駄(同様に遠隔医療は医師間の信頼関係、経済的利害の一致があって初めて機能する)、(2)EMR(Electronic Medical Records)標準化は企業ベンダーに呼びかけても全く進展しない(ただし、EHRのために全国レベルでEMRを標準化する必要はなく、EMR構築を担う医療事業体が十分大きければよい)、(3)医療ITコストの大部分を直接負担するのは医療提供者。しかし、その経済的便益を最も受けるのは保険者。だからデータベース構築に協力する医療提供事業体に保険者が財源付与する仕組みが重要(4)Population Health(予防による地域住民の健康向上と医療費節約)で使われるのは主としてレセプト情報(ナショナルデータベース完成により我が国でもPopulation Healthは可能であり、このため、コスト・ベネフィットの高い効率的手法の開発と人材育成が急務)を挙げている。この際、地域医療セーフティネット事業体のガバナンス改革が必要とした。
ちなみに、日本で最も成功しているといわれる長崎のあじさいネットは、人口143万人のうち、9年間の普及率は2.3%であり、この比率では、「成功とは言えない」とし、情報提供22病院間(国公立病院、大学附属病院が中心)の情報共有はシステム上可能であるが、実施がごく一部のみにとどまっているのは、個人情報の壁が要因なのではと推測。普及率向上のための打開策は、情報提供病院の核である大学附属病院、国公立病院を経営統合しIHNを目指すこと提案し、加えて地域間競争の発想が大切であるとした。