電子デバイス産業新聞(旧半導体産業新聞)
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第514回

世界最強のインテルの成長は日本なしではありえなかったのだ!


元米国本社副社長の傳田信行氏の語る珠玉の言葉の意義

2023/1/13

 「今も半導体の世界チャンピオンに輝くインテルの成長は実のところ、日本の人たちの協力なしにはあり得なかったのだ。このことは、よく覚えておかなければならない。特にZ世代と呼ばれる若い人たちは、その歴史をしっかりと認識する必要があるのだ」

1971年はエレクトロニクスの歴史を変えた「4004」が生まれた年
1971年はエレクトロニクスの歴史を変えた「4004」が生まれた年
 これは2022年末に開催された「トランジスタ生誕75周年記念セミナー」(主催・産業タイムズ社)の中で、元インテル米国本社副社長の傳田信行氏が語った言葉である。パソコンを誕生させた画期的な世界初のマイクロプロセッサーを日本で売り歩いた傳田氏の言葉だけに、全くもって説得力があると思えてならなかった。

 時は1971年(昭和46年)、東京・銀座にマクドナルド1号店がオープンし、ドルショックで日本経済が急降下し、沖縄が日本に返還される調印がなされたこの年、世界のエレクトロニクスの歴史を動かすマイクロプロセッサー「4004」が誕生する。マイクロプロセッサーは、いわばコンピューターの心臓部分を一チップに閉じ込めてしまうもので、要するに、LSI チップに乗ったプログラム内蔵方式コンピューターである。

 しかし、このマイクロプロセッサーは、汎用コンピュータをLSI化する過程から出てきたものでなく、日本の電卓という全く違う流れから出てきたものである。当時、電卓メーカーのビジコン社の子会社、電子技研にいた日本の嶋正利氏が提案し、これを受けたメーカー側のインテル社の技術者テット・ホフ氏により世に出されたのである。

 マイクロプロセッサーを生み出したメーカー側も、ユーザ側も当時は小さなベンチャー企業であり、大研究所の基礎研究所から生まれたのではなく、国を挙げてのプロジェクトから生まれたものではないことに注目する必要がある。

 「インテルのマイクロプロセッサーは、全くパソコンを意識していなかった。結果的には、世界のパソコンの世界をインテルとマイクロソフトで支配することになったが、とにかくインテル発展の裏には、常に日本企業の存在があった」(傳田氏)

 インテルのCPUやEPROMといった旗艦になる半導体は、世界で初めてセラミックパッケージを採用するが、これを作ったのが稲盛和夫氏率いる京セラであった。また「4004」から進化した「8008」というマイクロプロセッサーの開発資金を提供したのが時計のセイコーで知られる精工舎であった。

 「私はインテルジャパンの社員第一号であったが、「4004」の売り込みには駆けずり回った。東京電気と言うキャッシュ・レジスターの会社(東芝の子会社)に行った折に、店舗でレジを打っている女の人たちが、みんな腱鞘炎になって苦しんでいることを知った。そこで「4004」の採用を提案したが、これが彼女たちの苦しみを救った。半導体という仕事をやっていて本当に良かったという瞬間だった」(傳田氏)

 そして、傳田氏率いる日本法人が主導する形で、製品品質プログラムの「安心感プログラム」が発動する。何と日本法人の品質がインテル本社の標準仕様になったのだ。インテルの勲章ともなる世界初のクラス1のクリーンルームの実証実験は、東北大学の大見忠弘教授の論文なしにはできなかったのだ。また、世界初のノートブックパソコンの開発は、東芝によってなされるが、ここにもインテルのマイクロプロセッサーが使われていく。

 こうしたインテルと日本企業の結びつきを傳田氏から聞かされながら、何故に今の日本企業は世界最先端の流れから取り残されてしまったのかと言う疑念が生じてならなかった。講演後に「インテルはベンチャーから半導体世界一に駆けのぼって行ったが、日本企業はどうしてその道を歩めなかったのか」と傳田氏に聞いたところ、明確な答えが返ってきた。

 「リスクを取らなかったからでしょう。インテルはいつだって挑戦をやめることをしなかった。大きな犠牲を払っても、大胆に戦略を変えてきた。大きな赤字に苦しんだこともある。それでも半導体で世界に貢献しようと言う姿勢を変えなかった」
(「企業100年計画ニュース」から抜粋)


泉谷 渉(いずみや わたる)略歴
神奈川県横浜市出身。中央大学法学部政治学科卒業。35年以上にわたって第一線を走ってきた国内最古参の半導体記者であり、現在は産業タイムズ社 取締役 会長。著書には『自動車世界戦争』、『日・米・中IoT最終戦争』(以上、東洋経済新報社)、『伝説 ソニーの半導体』、『日本半導体産業 激動の21年史 2000年~2021年』、『君はニッポン100年企業の底力を見たか!!』(産業タイムズ社)など27冊がある。一般社団法人日本電子デバイス産業協会 理事 副会長。全国各地を講演と取材で飛びまわる毎日が続く。
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