マイコンが登場して普及期にあった頃、マイコンの価格に大きく影響した製品、今でいうアプリが2つあった。一つはスペースインベーダ、で、もうひとつは、パチンコ台であった。
さて遊技機である。パチンコ、ジャン球、アレンジボール、といった風俗営業に規定される大人のゲームは、投資額の100倍の金額の景品が許される。投資額は、1ゲーム分、100円であるから、1万円を狙いゲームにチャレンジすることとなる。この限度から、パチンコでは打ち止め4000発、といった店が行う規制があったが、フィーバー機のブームから打ち止めは見られなくなった。何しろ、連チャンすれは、一機に数万発の球が得られるので、ギャンブル性が高くなる。すると警察庁は、法の趣旨に反するとして規制に乗り出す。新たな規制が出ると、この規制を乗り越えて連チャンさせるには、とパチンコ台のメーカーは悪知恵を絞ることとなる。
このパチンコであるが、三共が1980年に発売したフィーバーが連チャン機のはじめである。フィーバー機が出てきて、1機種数千台が常識であったパチンコ台の生産が、1機種数十万台という規模となり、パチンコ店の数も増加する。レジャー白書によれば、パチンコ、パチスロの最盛期は2005年で、遊技に投入された金額は、約35兆円であったそうである。この時のパチンコ台の台数は、400万台を超え、パチンコ店の数も、2万5000店ぐらいと記憶している。
パチンコ台の台数だけで言えば、1957年に規制がなかった故に、推定600万台という時代があったが、これは電子回路のない機械だけのパチンコ台で、連続自動発射機もあるといった台であった。あまりにパチンコに熱中する人が多く、家庭崩壊も多発したことから、警察庁が規制を始めると、5万軒あったと言われていたパチンコ台のメーカーは急減し、1年で数百に、そしてその後、数十となって今に続く。有名なムラマサ釘はこの時代に創出されたものである。
このパチンコ台としては初めて、スロットマシンの回転ドラムをパチンコの盤面に採用したのが、先の三共のフィーバーである。この「フィーバー」は機種の名前であったが、連チャンするパチンコ台の総称ともなっている。このパチンコ台は、球の入賞でドラムが回転して抽選が行われ、ドラムの絵柄の揃いで、連チャンの起動になる大型のチャッカーが30秒開き、この大型のチャッカー内にある、小さいチャッカーを球が通過すると、もう一度、として、大型チャッカーが時間経過後、再度開く、としたものであった。これでは小さいチャッカーに入賞さえ継続できれば、終わりがなく、無限に継続できる。止まらない連チャン機の登場となった。
しかし、この時のフィーバーにはマイコンは使われていない。74XXといったロジックICで機能を作っていた。だから小難しい、入賞回数の制限とか、連チャン数の制限はできない。実は、これを利用して警察を上手く説得したので、ドラム式抽選が許可になったが、本来のゲーム内容からは許可できるものではなかった。県警ごとの許可だったので、係官には風俗営業法と付帯する省令に詳しくない人がいて、誤って許可したと思える。
しかし三共が許可を得たので、他のパチンコ台メーカーも追従して、同様のパチンコ台を開発して、フィーバーをタテにとって許可を得ていった。そして業界は大きな問題に直面する。パチンコ台の許可は、県警、東京なら警視庁で審査を行う。審査時に、この点は不適正で許可できない、とされると、論理回路を再設計し、基板から作り直す必要がある。作り直すのは仕方がないとしても、1種類のパチンコ台に、20種~30種の電子基板があることとなり、しかもロジックICを35~45個も使う。作るのも大変だが、基板の管理も大変である。
そこで日工組(日本遊技機工業組合)が警察庁に陳情して、マイコンの使用を願い出て、許可になった。その理由は、部品点数を減らせるので、パチンコ台の誤動作を減らせるというものであった。許可が出ると、早速、三共をはじめ、いくつかのパチンコ台メーカーがマイコンを採用してパチンコ台を作り、1枚の電子(マイコン)基板で、県ごとに違うゲーム内容を満たすことができるようになった。
ところが、このマイコン・パチンコ台、パチンコ店での評判がすこぶる悪い。マイコン特有の現象、プログラムの暴走を起こし、パチンコ台の制御が停止してしまう問題を起こした。これをパチンコ業界では「デジ切れ」と称していた。この「デジ切れ」という言葉は、我々、電子屋は「暴走」、「マイコンの暴走」としている、静電気ノイズなどがマイコンに飛びついて起こすマイコンの機能停止のことである。
パチンコ台を取り付ける装置、シマ、と呼ばれる壁中には、球を運び、回収をするベルト・コンベアがある。このベルト・コンベアが金属部と擦れて静電気を起こす。髪の毛が垂直に上昇するデモもあるバンデグラフのような静電気発生器と思えるものである。この静電気、数万ボルトに達する、がパチンコ台に入ってきて、マイコンの動作を妨げ、暴走させる。暴走してパチンコ台が停止すると、パチンコ店ではデジ切れと称してトラブル対策を取る。具体的には、店員がその台の客に謝り、1万円札を渡して、台の扉を開け、裏にある電源スイッチを一瞬、切って入れる。これで通常に復旧するが、客により「俺がフィーバーになりかけてので、デジ切れを仕掛けたな」とクレームをつける人もいて、客とのトラブルが多く、マイコン・パチンコ台の評判は悪かった。
ここから筆者が関与するのであるが、マイコン・パチンコ台の開発に出遅れていた「平和」ブランドのパチンコ台メーカーの下請けで、電子基板製造専門のアイキョー社が桐生にあった。このアイキョーでパチンコ店の売上管理システムを開発している部門があり、モトローラのマイコンの開発機を購入してくれていたので付き合いがあった。そこから、今度、マイコン・パチンコ台を作ることとなったので協力して欲しいとの依頼を受けて、開発チームに参加した。
この時のパチンコ台は、桐生にあった、平和ブランドのブラボースペシャル、という機種である。この機種には筆者が協力して、暴走防止機能を組み込んだ。この台が出回ると、あまたあるパチンコ台の中で、唯一、デジ切れを起こさないパチンコ台と評判になり、2年後には、4百数十万台としていた全国のパチンコ台の50%以上が、ブラボースペシャルになった。この開発に関わる話は、次号で紹介する。