モトローラ社の68000系のマイコンは、Intel社に市場では大きく遅れを取っていた。それでも頑張って、68000を使ったシステムをいくつか作った。東大生研向けの機能ディスク装置、本田技研工業/ALPINE社のカーナビゲーション、この2つは記憶に残る成功したケースであった。
東大生研の喜連川優 博士から、機能ディスクの開発への協力を依頼された。この方は現在、国立情報学研究所の所長に就任されており、紫綬褒章、NECからC&C賞を受賞されているが、同博士が若かりし頃の研究室、第5世代コンピュータの研究グループから依頼された。最初にお会いした時、その後の数回の打ち合わせ会議では、言葉が通じなくて困った。分からない中、こんなものかな?と推定した仕様を持っていくと、「違う!」とお怒りで、「どうして分からない」とされ、散々文句を言われた。コンピュータ科学のレベルが違いすぎて、説明される内容が分からなくて困りながらも、打ち合わせを重ねて、やっと欲しい装置が理解できるまで数か月を要したと思う。
理解した内容に沿ってハードディスクのインターフェース(複数のハードディスク用であり、特定のフォーマットでデータのみが記録されている)からデータを読み出して、製作するインターフェースの機能として、データ・フィルタを組み込んで、設定された条件に合致するデータだけをコンピュータのメモリに書き落とすと、システムに割り込みで通知して、空いているCPUに処理をさせる、というものを機能ディスクとされていたと理解した。
例示しよう。当時の気象用人工衛星ひまわりからの写真データを処理するとする。この写真のデータのサイズが1枚、約500メガバイトであった。システムに用いるハードディスクはNEC製の8インチ、160メガバイト、国産最大容量であった。これでお分かりと思うが、ひまわりの写真1枚に4台のハードディスクが必要であった。この写真、複数を処理すると、東京地方の雲の動きを画像として示せる。天気予報で見慣れた動画になる。この場合、設定すべきは、緯度、経度の最大値、最小値となる。これを機能ディスクのフィルタに設定して、十数台ある全てのハードディスクをアクセスすると、指定した東京地方だけの写真データがCPUの共通バスのRAMに展開されて処理対象となる。
これを全部コンピュータでやると、読んで、CPUバスに展開して、99%は不必要として捨てることになる。この作業をコンピュータにさせるのは無駄として、機能ディスク・インターフェースを喜連川博士は考え出された。
FPGAが使えなかったので、かなり大きめのユニバーサル基板2枚でこの機能回路を設計し、製作した。部分的には、マイクロ・コードによるシーケンサを使ったが、こういったところは電通大の後輩でアルバイトに来ていた岡村さんが素晴らしいツールを作ってくれた。CPUも68000一個では不足として、3枚のCPUボードを用意して機能ディスクからのデータを処理させる予定であった。ところがバス・コントローラに近い2枚が交互に動作して、3枚目に処理がまわらない。試験データではサイズが小さくて、1枚が処理している間に2枚目が処理を開始する。3枚目の処理は、前2枚が処理中でないと要求されない。そこでラウンド・ロビン・アービターを開発して、各CPUボードの処理が均等となるようにした。結果、ラッピングで作ったインターフェースは不安定なとことはあったが、動作して、処理速度はDEC社のVAX560を50台、並列にして処理した場合より短い時間での処理ができた。
この機能ディスクは、今作るなら、FPGAの使用により簡単にもっと良い製品ができると思うが、いまだに商用化がされていない。大規模のデータ(BIG-DATA)の処理に向いているのに不思議なことである。
次に、カーナビゲーションの開発では、機能ディスクの開発の際に創作したいくつかの技術を導入した。有効なデータのRAM上の位置を示して受け渡しを行うセマフォがあった。また、キャッシュ・メモリをCD-ROM用に修正し、地図の先読みキャッシュとしたことで、当時のCD-ROM、1倍速の遅さを補って、第一次の完成版では、時速500㎞で移動しても地図表示が遅れることはなく、地図の倍率を変更してもCD-ROMから改めて読みだすのではなく、キャッシュ・メモリに予め読み出してある地図データに切り替えるだけなので、切り換えが瞬時に行えて、大いに喜ばれた。
この時代、GPSは米軍専用でいまだ使えなかった。沖電気製のガスレート・センサーという高感度な加速度センサーとコンパスにより自車の位置を割り出していた。ナビ研の電子地図には道路レイヤーがあったおかげで、地図を先読みする際に道路レイヤーも読んでメモリに道路のデータを展開してあった。これを使うことで、他社のカーナビで問題になっていた、東名高速で浜松付近を100㎞/時程度で走行すると海の上を走る、という問題は最初から解消していた。
ところがホンダが営業所やサービスセンタといったものを地図に追加して、地図のサイズが大きくなって、最終版では、250㎞/時程度に性能が低下した。面白くはなかった。このホンダのカーナビは当時、ある車雑誌にて、唯一実用に供せるカーナビ、と評価された。裏方ではあったが、とても嬉しかった。このカーナビは、電気学会が日本の社会貢献した技術、製品を顕彰してきた、「電気の礎」のひとつに、ソニーのTR-55(ウオークマン)、NECのPC9801などと並び、取り上げられている(電気の礎のサイトは、https://www.iee.jp/foundation/)
後日、カーナビで競合する企業から、日本モトローラへ「アルパイン社に向けて販売している、高速の68000を売って欲しい。」との依頼が入った。この不思議な要求に面食らった日本モトローラから筆者の会社へ問い合わせがあった。こちらは普通の68000と回答するしかなかった。競合社は、アルパイン社のカーナビを分解して解析しても、キャッシュ・メモリというメイン・フレームなら当然の技術が理解できなかったことからと思う。また、キャッシュ・メモリのコントロールに2つの68000を使っていたのだが、このCPU間のデータの受け渡しに、キャッシュ・メモリを含め、デュアルポートとして、セマフォを組んであった。これらはゲートアレイの中のことなので、分からなかったのであろうと推測している。