電子デバイス産業新聞(旧半導体産業新聞)
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ICの登場と発展 1


TIのTTL、そしてECLの時代
~当初はトランジスタの延長からアナログICが登場する!

2022/5/27

 筆者が中学生の頃、進路指導の際に船舶通信士になりたい、とした記憶がある。アマチュア無線をしていたので、通信には馴染みがあったことと、船員にでもならなくては海外へ、韓国、中国は別として、米国や欧州に行くことは普通の勤め人には難しかった。

 筆者の父は、有名なデパートに勤めていて、筆者が高校生の頃、1960年代の後半にカナダ政府からの招待でデパートの購買視察団の一人として、カナダへ出張した。

 当時、1ドルは360円の固定レート、持ち出しドルは最大1500ドルであった。その時、実勢レートは500円と聞かされた。成田空港は未だなく、父は羽田から、プロペラ機で、バンクーバー経由でカナダへ向かった。この旅行の準備で、スーツ、靴を新調し、カメラを買い、餞別を多くの方々から頂戴し、中には闇ドルも、という大騒ぎであった。

 故に、その数年前の筆者の中学時代には、海外に行く、英語で仕事をする、そんなことはあり得ない、という情勢であった。英語よりも真空管用の電子回路を勉強したが、これが「後悔先に立たず」となることは予想しなかった。この点は大いに反省している。当時は知らなかったが、まさにマーフイーの法則である。

 この時代、海外、主に米国からのICの輸入は良いビジネスであった、と先輩から聞いている。ところが、360円/ドルでの外貨の割当ては厳しく、当時の通産省(現:経産省)へ日参して、こういう製品に使って、製品を輸出しますから、というふうに必要性を強調しないと輸入のための外貨の割当が得られなかったそうである。輸入業者は、国賊として扱われ、輸出業者は優遇するという体制に苦しめられたと聞いている。

 さて、筆者が最初に集積回路(IC)を手に取り何かを作ったのは、高校生であった頃、先輩から頂戴したデュアル・トランジスタであった。一つのシリコン上に2つのトランジスタを作っただけのもの。このICは、OPAMPの入力回路やダイオード・ブリッジといいった2つの特性の揃ったトランジスタが必須の回路に最適であった。

 70年代に入って大学に在学中、実際に使い方を勉強して仕事としたのは、OPAMPであった。xx709、xx741が一般的で、8ピン、丸型の金属パッケージの製品であり、形からも8ピンのトランジスタと見えるものであった。

 これとLM309という5Vの定電圧ICであった。今、ドロッパ型の定電圧ICといえば、7805を代表とする78シリーズであるが、その前にも、パワートランジスタと見間違える3端子、TO3パッケージの定電圧ICがあり、ツェナー・ダイオードを使う定電圧回路より、高い電圧精度、安定度を提供する製品があった。

 当時のOPAMPの電源は、+15V、-15Vが標準であった。オーディオ帯域に限定してIC内部に周波数補正を入れたのが、741であった。709の方は周波数補正が付いていないので、外付部品で必ず周波数補正を行う必要があったが、比較的自由に補正回路を構成できたので、ある程度、高い周波数を使うフィルタ回路は、709が使われた。これらのOPAMPは数字部分が同じになっている互換品も複数のメーカーから出されていた。

 OPAMPでは、シリコンウエハーを作るときに、コストと速度向上のための線幅、ミクロン・ルールの微細化は不必要であるが、使用するプロセスにより決まるトランジスタの低ノイズ化が重要な課題であった。ミクロン・ルールが微細である必要はないので、ウエハーファブも高度なクリーンルームである必要もなかった。さらに、今や標準の12インチウエハーは遠い先の話で、ウエハーのサイズも、4インチ、5インチ、6インチの世界であった。つまり簡易な設備で済むので国内のメーカーも、特に通信業界に関連する企業が参入していた。そして改良されたOPAMPが出てくる。単電源、+電源とGNDでよいOPAMPや低電力OPAMP、70年代後半から80年代にかけて、国産品を含み百花繚乱となっていた。

 論理回路の方もTIのTTL(Transistor-Transistor-Logic)までは同様であった。当初の論理回路は、種類も多かった。今では聞くこともない種類として、RTL、HiNILがある。RTLはRegister-Transistor-Logicの略であり、HiNILは、Hi-Noise-Immunity-Logicの略である。辛うじて、名前だけは残ったのは、モトローラのMTL、Motorola-Transistor-Logicである。MTLはTTLのシリーズにない、PLL用の位相検波用のロジックICがあったので、残っていた。

 今でも一部では現役なのはECL(Emitter-Coupled-Logic)である。ECLはトランジスタをアナログの範囲だけ、つまり、飽和させずに用いるので、高速化が可能であり、信号を配るのに使われる同軸ケーブルのインピーダンス、52ΩにマッチングしていたのでICとしてのデバイスもあり、ECLレベルとして伝送用に使われていた。

 このように種類が多い中、TI社の74シリーズが出てきて、他の論理回路のシリーズを、その高速性、低価格、使い易さから駆逐していく。当初の74シリーズには、7400(標準)だけでなく、74L00、74H00があった。Lはローパワーであり、Hはハイパワーであった。Lの方は速度が遅くてもよいところに使われ、Hは高速が必要なところに使われた。そして74HCシリーズ、ハイスピードロジックへと進み、一般化した。

 74シリーズはTTLといわれる構成のICであったが、Transistor-Transistor-Logicの頭文字からTTLであり、この文字からも、単体トランジスタの延長であったことは容易に理解されると思う。

 さらに時代が進み、80年代になれば、メタル・ゲート・CMOSが出てきた。単電源、18Vまで使えるので、OPAMPの15Vと相性が良く、CD4000シリーズには最初から、4016といったアナログ・スイッチがあり、4051といったマルチプレクサもあった。

 このICの黎明期には、ロジックが先行し、大規模のロジックが作れるようになって複雑な機能のICが出てくる。1つのICに多くのトランジスタを入れると発熱が問題となる。そこでトランジスタの低電力化、低電力化のためのサイズの縮小、と進み、70年代後半にはNMOSの時代となる。NMOSやCMOSの時代となって、SRAMやDRAMの製造が可能となり、さらに、不揮発性メモリとしてEEPROMやEPROMが登場する。

 メモリと高速論理素子、この両方が揃ってマイコン(マイクロ・コントローラ)が出てくる。そして集積度の向上、高速化により、16ビット、32ビットのマイクロ・コンピュータが登場し、80年代からは大型のメイン・フレームやミニ・コンピュータから、組み込み製品の回路の一部として、マイコンが使われるようになった。時代の大きな転換点であった。

 1970年代にトランジスタからICへの高度化が始まり、10年で各種のマイコンへと進化した。これだけ大きな変化がわずか10年で起きている。今日にあって、また、半導体の進化の時代であり、日本発の時代を変える新技術を期待する。
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