電子デバイス産業新聞(旧半導体産業新聞)
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トランジスタの登場 1


真空管の置き換えによりハイブリッドの時代
~東光、ミツミも活躍し、秋葉原へ行き全て自前で作れる!

2022/4/15

 1960年代は電子機器の進化の時代であった。私見では、1955年に東通工(後のソニー)が日本で初めてトランジスタ・ラジオを量産したのが、電子、を扱う発端となったと思う。

 1950年代の前半には、未だ真空管を用いたラジオが主流で、後半に近くなり、今の上皇の結婚式が1959年で、この時に一気に白黒ブラウン管、真空管式のテレビが普及したとWikipediaにある。

 翌年の1960年にカラーテレビの放送が開始されたが、未だテレビ自体は、カラーブラウン管、真空管で構成されたテレビであった。こうしてみると、白黒のテレビが一般的であったのは、1950年の最後から1970年の始めまでの20年少々であり、以外と短い寿命であったと分かる。しかし当時は、テレビジョン受信機修理技術者、という国家資格があったぐらいである。こんなに早く別の技術、トランジスタが普及するとは誰も考えていなかったと思われる。

 この時代は、トランジスタの用途が広がって徐々に真空管を排除していった時代、ハイブリッドの時代となった。今、ハイブリッド、というと自動車であるが、元々、性質の違う物を組み合わせる、という意味であるし、筆者のハイブリッドは、真空管とトランジスタとなっている。

 1960年代の後半になると、父がカラーテレビを購入した。木製のキャビネットの大型のものであった。裏蓋を外して中を覗くと、真空管がシャーシではなく、電子基板の上に載っていた。真空管の数も少ない。代わりに、電子基板の上にトランジスタが多く見受けられた。カラーテレビが普及する頃には、このようにトランジスタとのハイブリッドが多くなっていた。

 他の電気製品も、こぞってトランジスタを採用して、小型化、省電力化を図った。競争して電化製品の性能が向上していった。電力用の半導体としてサイリスタが登場してくると大電力も半導体で処理できるようになり、真空管が使われなくなった。

 さて、ハイブリッドからソリッド・ステート(未だICではなくトランジスタのみでの)への時代になってからの話になるが、日本では国内規格により、トランジスタの名称が「2Sxyyy」という風になっている。今回、この原稿のために調べてみたら、この命名は、'JIS C 7012 半導体素子の形名'という規格できまっている、とのことであった。

 2SAなら高周波用、PNPトランジスタ、2SBなら低周波用、PNPトランジスタ。2SCなら高周波用、NPNトランジスタ、2SDなら低周波用、NPNトランジスタと知っていれば、大体の見当をつけることができた。

 トランジスタが秋葉原で妥当な値段で売られるようになると、基板、ユニバーサル基板、銅張板とエッチング液のセット等が売られていて、基板の設計、エッチング、穴あけ、部品挿入、はんだ付け、全て自前でできる体制を支えてくれる商店街となっていた。ラジオ・センターには基板材料の専門店もあり、ユニバーサル基板といったものも売られるようになってきた。

 自作派のために、電子関連の雑誌には、真空化時代の立体配線図の代わりに、基板のパターン図が載るようになっていた。

 このように、トランジスタが普及してくると、トランジスタに適した部品も売られるようになってくる。東光はIF用のコイル、セラミック・フィルタを、ソニーのオール・トランジスタ・ラジオ用に開発された、ミツミのポリバリコンが売られていて小型なのでトランジスタの回路には便利であった。抵抗器やキャパシタも発熱が小さく、耐圧も低くて良いトランジスタに適したものが開発されて、さらに、小型化が可能となった。と言っても、未だ、今普通になっている表面実装(SMD)ではない。両側に足が出ているP型の部品であった。抵抗値を印刷するには小さいのでカラーコードで値が表示され、カラーコードを覚える必要に迫られたのは懐かしい。今はSMDではカラーもつけられない。

 ポリバリコンが小型なのを利用して、試作中の真空管の発振回路にポリバリコンを用いたところ、電圧が高い、ということは電流も大きいということで、ポリバリコンというキャパシタの電流容量を超えてしまった。そしてポリバリコンを溶かしてしまった。筆者にとり、抵抗器は抵抗値だけでなく、発熱量も大事と思っていたが、キャパシタも容量と耐圧だけでなく、電流容量も大事だと思い知った失敗であった。真空管からトランジスタへの切り換え期には、こういう失敗が散見されたものであった。

 電子基板は、秋葉原で銅張のベークライト板とエッチング液(塩化第二鉄溶液)を購入してきて、銅の表面にラッカーでパターンを描いてエッチング液でラッカーの塗られていない所を溶かせば自家製の電子基板のでき上がりとなる。これのラッカーをシンナーで除去し、表面を保護するレジスト(松脂の溶液)を塗り、部品の取り付けに応じた穴開けをすれば基板の完成である。

 実は、この電子基板の作成作業は、真空管で機器を作る場合のシャーシ加工に比べると大幅に楽な作業であり、コストも低くできる。電子業界の各企業が電子基板を採用するのは当然と言えた。

 また、アマチュア無線以前の素人が勉強用にキットを組み立てるにしても、真空管のように感電や火傷の心配はない。誰でも触ってみる、遊んでみることが可能となった。

 自作をする人が電子基板の板にベークライトを使うのは、ガラス・エポキシ基板も入手できたが、穴あけに必要な超硬のドリルビットは高価で入手できないので、鉄用のドリルビットで容易に穴あけのできる柔らかいベークライトを用いるのが普通であった。

 プロ用のエッチングが使えるなら、マイラー・シートに黒色の様々な幅のテープを貼って基板のパターンを設計する。これを基板屋へ持ち込むと、写真を撮影して、感光材が塗られている銅張基板に密着させて、光を当てて感光材を感光させ、現像すると、銅を残すところに保護剤が残る。これをエッチングすれば、配線パターンのある基板ができ上がる。後は、穴あけ、切断とレジスタの塗布、シルク印刷で、各部品の外形、番号、等を印刷して完成となる。大学時代に、この電子基板のパターン設計で随分、稼がせて貰った。

 当時の電子エンジニアに必携の本?があった。CQ出版社の横長のトランジスタ規格集、ダイオード規格集のシリーズで、トランジスタの型番から、定格、特性の最低限の数値が記載されていた。インターネットで簡単にデータ・シートが入手できる今では絶版になっているが、当時は、知らない型番のトランジスタ、ダイオード、FETといったものがあれば、この規格集を参照することから調査が始めるのが普通であった。

 アマゾンを見てみたら、復刻版があり、中古もあった。懐かしい。
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