ここに1冊の本がある。少なくとも10回は繰り返し繰り返し読んだ本であるからして、かなりボロボロにはなっている。しかし、筆者にとって、まさに「半導体への道」を教えてくれた貴重な本なのである。その本の名前は『IC産業大戦争』という。版元はダイヤモンド社、1979年6月に発刊されている。この本の著者が、志村幸雄氏である。
「半導体はまさに小さな巨人なのだ。これを制した国家が世界の中で抜け出してくる。かつて産業のコメと呼ばれた鉄鋼は、いまや成熟しきっており、これからは鉄鋼に代わってIC、つまり半導体が産業の主役を占めることになる。そしてまた、日本企業はこの半導体で大きく跳躍していくことになる」
筆者が初めて志村幸雄氏に会った時の言葉である。頭にガンガンと鳴り響くような衝撃を受けて、会社に帰った。そして、直ちに丸善の日本橋店に行って買い求めた本が、志村幸雄氏の執筆による『IC産業大戦争』であった。
その志村氏が、先ごろ逝去された。筆者に半導体のすべてを教えていただいた師匠が亡くなってしまったのだ。その報を聞いた日に、新型コロナウイルス騒動で揺れ動く東京の青い空を見上げてみた。そこにはいつも優しく、時には厳しく、筆者を鍛えてくれた志村さんの顔があった。
志村幸雄氏は1935年北海道生まれ。1958年に早稲田大学を卒業し、工業調査会に入社する。1962年以来、15年間にわたって『電子材料』編集長を務める。最終的には工業調査会の社長になられるのだが、おびただしい著書を残しておられる。そしてまた講演も得意な方であり、何回も聴かせていただいた。ほぼ現役を退かれる頃になって、「産業タイムズ社の泉谷渉は、私の一番弟子である」と言っていただいているのを人づてに聞き、溢れる感動が押し寄せてきた。思えば、志村氏の背中を追い続けた半導体記者人生であった。
志村氏を偲んで、もう一度『IC産業大戦争』を読み返してみたが、この本に書かれている内容の先見性には驚かされるばかりであった。一番すごいと思ったことは、1979年の段階にあって、志村氏は「今後、半導体は年率13%で伸び続ける巨大産業になる」と喝破しておられたことだ。1978年当時にあって、半導体産業はいわゆる1兆円産業にはなっていた。その40年後の2018年に至って、半導体産業は爆裂的成長を遂げて50兆円に達するのであるが、これを予見した人は志村氏以外にはいないだろう。
1978年における地域別の半導体産業のシェアは、米国が全体の42%を占めて圧倒的な実力を誇り、次いで日本が26%、欧州が22%でそれを追っているという図式であった。しかして志村氏は、半導体産業にかける国家“ニッポン”の将来性を強く強調しており、米国を抜く日が必ずやってくる、という論調で書かれていた。1984年段階になって、わが国ニッポンは米国を抜いて世界トップシェアを獲得し、その後6年間にわたって世界チャンピオンのベルトを巻くことになるのだ。志村氏の予言は見事に的中していた。
また志村氏は、大阪万博の開かれた1970年、IEEE(米国電気電子学会)の技術会議に参席しておられたが、パネリストの一人であるベル研究所のW・ボイル氏から予稿もないままに突然発表されたCCDの可能性について驚き、かつ記事にされていった。このCCDは、今日にあってCMOSイメージセンサーという画像デバイスとなり、ソニーが世界シェアの52%を取って君臨していることは世に知られている。その先駆けのCCDをきっちりと50年近く前に書いておられることには、全くもって驚嘆というほかはない。
そしてまた、日米を追う新勢力として、中国の半導体産業を早くもリポートされておられる。1975年には中国全土に100に及ぶ半導体工場があり(65年の約3倍、70年の約1.5倍)、このうち約20工場は材料(シリコン単結晶、パッケージなど)からトランジスタ、ICまでの一貫生産工場になっていることを突き止めている。すでにDRAMも、マイクロプロセッサーも試作されていたのだ。最近になって、中国半導体の爆発的成長が常に話題となるが、そのルーツを志村氏はきっちりと見つけておられた。すなわち、中国にはそれだけのポテンシャルがある、と察知しておられたのだ。
志村氏は、3年半前から膵臓がんを患い病床にあったが、先ごろついに力尽きて、あの世に旅立たれた。今でも耳に残っている言葉は、次のようなものだ。
「半導体産業を追うということは、世界における社会現象や政治、さらには生活文化を追うことなのだ。半導体が切り開く社会をよく見据えて、記事を書かなければならない。人が生きていくことは文化であり、古代にあって最初の革命は、人類が鉄を切り開いたことであった。それは石器時代に代わる革命であった。今日にあって、珪石、つまりシリコンが切り開く新たな石の文化が半導体産業なのである」
■
泉谷 渉(いずみや わたる)略歴
神奈川県横浜市出身。中央大学法学部政治学科卒業。35年以上にわたって第一線を走ってきた国内最古参の半導体記者であり、現在は産業タイムズ社 社長。著書には『自動車世界戦争』、『日・米・中IoT最終戦争』、(以上、東洋経済新報社)、『これが半導体の全貌だ』(かんき出版)、『心から感動する会社』(亜紀書房)、『君はニッポン100年企業の底力を見たか!!』(産業タイムズ社)など27冊がある。一般社団法人日本電子デバイス産業協会 理事 副会長。全国各地を講演と取材で飛びまわる毎日が続く。