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岩手医科大学 特命助教 佐々木亮平氏


日本看護協会、「復興フォーラム2014『被災地の看護は、いま』」開催(5)

2014/5/7

左から八木橋氏、千葉氏、堀内氏、佐々木氏、中板氏
左から八木橋氏、千葉氏、堀内氏、
佐々木氏、中板氏
 公益社団法人 日本看護協会(坂本すが会長)主催の「復興フォーラム2014『被災地の看護は、いま』」が2月11日に開催され、4人の講師によるリレートークが行われた。3番目の堀内由美氏に続き、岩手医科大学いわて東北メディカル・メガバンク機構 臨床研究・疫学研究部門地域住民コホート分野特命助教 佐々木亮平氏が話した。

◆同僚9人のうち6人が死亡
 佐々木氏は、冒頭、「今日の話は、大変堅苦しくなるかもしれませんが、保健師という仕事を通じて皆さんと一緒に考えたいと思います。公衆衛生という言葉は、なかなか難しいと思いますけれども、気がつけば、お互いに一人ひとりが元気になる、そんな環境作りを一緒に周囲の皆さんとやっていく、そんな活動なんですが、災害急性期だけではなく、もう、震災後3年が経とうとしています。今のことも含め、お伝えしていけたらと思っています」と述べ、本題に入った。
 佐々木氏は、「しゃべるのはちょっと苦しいんですけれども」と前置きし、「陸前高田に(震災)1年前にいた同僚9人の保健師のうち、6人が亡くなってしまった。本当に人がいなくなるということの辛さ、厳しさを感じています。一番大事なものは人ですが、陸前高田では、10年、20年かけて、その地域で育てていただいて、いろんなつながりを持っていた人が一度に失われてしまった。今、マンパワーとしては、どんどん補足されてはいますが、人を育てるというのは簡単なことではない。『人財』育成は、財産の財です。本当に大事なことです」と、悔しさをにじませた。
 佐々木氏は震災1年前、任期に従い陸前高田から自宅のある秋田へ戻ったが、震災が起こり、「もう行くしかない、行けなかったらやめると妻に話して、日本赤十字にもお願いして、勝手に被災地に押しかけました」という。
 震災からこれまでを振り返り、佐々木氏は「やったことはできる、そして、やったことのないことはできない。こうしたことは、保健師、看護職に限らず、皆さんにもないでしょうか、どうでしょうか」と問いかけた。「テスト勉強、車の運転、お料理、パソコン。普段からやっていることはできるのではないかと、私は今回の災害で感じました。知識や技術でなく、姿勢なのではないかと感じています」と語りかける。

◆「できる人はできることをするしかない」
 震災5日後に佐々木氏は陸前高田に入り、「会う人会う人とハグです。居ない人は、居ないんだなと。『死んだろっ?』と聞けないですので、『あっ、いないんだな』と思うしかない。市長さん、元上司の保健センター長に会い、『遅い!』って言ったんです。いやあ、なんとも言葉になりませんでした。本当に私ももどかしく思っていました」と当時の心境を振り返る。
 インフラが寸断され、施設が被災する中、佐々木氏は「できる人はできることをするしかない。私ができることをやろうということで、皆さんとつながることをはじめました。その1つがこの『地域包括ケア会議』というもので、外部、内部、住民、専門家いずれの方も一堂に会して、今起きていることを何とか共有できないだろうか。そこで、次に向かう方向性を確認していこうと、これまで40回ほど開催しております。その中で1つ出たことが、『すべてのおうちを訪問しよう』、つまり、スクリーニングのような、支援の必要な方を探そうということではなくて、お年寄りの方と話をすることを始めた。そばに居てあげるだけでも力になれるんです」と、活動内容を説明する。
 続けて、「『被災者』には色々な定義があると思いますが、直接的な被災を受けた方だけではなく、色々な被災があるのではないか。そんなことを今、私自身も感じながら進んでいます。そうしてたどり着いたのが、『見える被災』、そして『見えない被災』という言葉です。仮設住宅にお住まいでない方も被災しているのです。欲張りかもしれませんが、家族と同居されていても、孤立していたり、見えない孤立、場所がなくなっているのではないかと問い続けています。そして、みんなで集まってお話をしましょうという、誰かに会うことの大切さを、心のケアというと大げさかもしれませんが、それを続けております」と報告した。

◆中谷氏「支えたつもりが、支えられている」
 日本看護協会常任理事で、災害看護などを担当する中谷育美氏は、自らが現地に何度も訪れて見聞した印象深い事例、看護職の献身的な活動を紹介しながら、「大災害や大事故を経験し、災害で命を落とさずに済んだ者が、後悔や罪の意識を抱く。また、私のようにあの脅威を、情報を通じただけで、体験した気分になっている自分への負い目を持ち、何もできない自分を情けなく思うということもよく言われています。私たちは、自然の猛威、そこから生じた放射線被害という恐怖に直面して、大切なものをたくさん失いました。そして、いくつもの後悔や無力感も同時に背負ったのです。これもまた、多くの本に書かれていることですが、それを解消することは決して容易ではなく、生き延びたものは、その思いを抱きながら生きていくしかないのです。しかし、生き延びたからこそ、今日の話のように、あの脅威の中で生まれた命と出会うこともできます。『私に何かできることはありますか』というフレッシュな看護師の卵の勇気にも出会えます。看護は、まさに命が動くその瞬間に出会い、命をつなぐお手伝いをしています。そして、その多くのナースのそばで応援したつもりが、そばで支えたつもりが、そばにある小さな命に、そして病む人に支えられていることを実感しています。後悔を打ち消すことはできなくても、今日の皆さんのように、体験を語ることはできます。看護の一線から見た、命のはかなさもそして強さも、生き残った者は伝えることができます。あの瞬間を映像でしか知らない私たちでも、その語りに耳を傾けることはできます。登壇された看護職の4人の方には、復興と言い切れない歯がゆさの中で、まして福島は、今なお進行形の中でお話をいただきました。看護という使命につき動かされてとった行動を、そして、3年の月日がもたらしたものを是非伝えて欲しいと思いました。このようにして、あの日まで生きていた命を、生きている者が心の中でつないでいくことになるのではないかなと思います。今日、お集まりの皆様には、看護の力はどのように映ったでしょうか」と問いかけた。

◆「看護を目指す若い芽が育つことを願う」
 中谷氏は、続けて、「この尊い看護の力が、被災地はもちろんのこと、日本全国で不足しています。参加された皆様の中から、今日ここで、看護の力、命に携わる尊さを知り、新たに、看護を目指す若い芽が育ってくれることを強く願っています」と総括した。
 その後、会場全員で復興ソング「花は咲く」を合唱し、「復興フォーラム2014『被災地の看護は、いま』」は閉会した。
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