公益社団法人 日本看護協会(坂本すが会長)主催の「復興フォーラム2014『被災地の看護は、いま』」が2月11日に開催され、4人の講師によるリレートークが行われた。2番目の千葉美由紀氏に続いて、相馬看護専門学校副校長・福島県看護協会相双支部長 認定看護管理者の堀内由美氏が、震災前に企画し、震災後に活動を開始した「相馬灯プロジェクト」について説明した。
◆相馬市内10病院のうち8病院が被災し閉鎖
堀内氏は、「震災当日、救急活動に追われる中、若い女性が病院に訪ねてきて、『何かお手伝いできませんか』と声をかけてくれました。このことが、今日お話しする『相馬灯プロジェクト』の後押しをしてくれました」と講演を始めた。
福島相双地方は、2011年3月11日に東日本大震災により、マグニチュード9.0の地震、高さ14mの津波、福島原発水素爆発による被害に遭い、JRの駅は津波で破壊され、電車が脱線した。瞬く間に建物が津波に飲み込まれ、家が海水に浮かび、松川浦大橋は通行不能となり、家々は沖に流され、津波により松の木は倒され、美しかった松林は消えてしまった。
放射能汚染の拡大により、震災翌日から病院の閉鎖が始まった。10日後には相馬地方の10病院のうち8病院が被災し、残ったのは相馬市内の2病院だけとなった。堀内氏が勤務していた病院は、屋上の看板が倒れ、壁が崩れ、エレベーターやMRIが故障し、手術室の壁が崩れ、透析の水処理設備が故障し、救急ユニットが滑り落ちるなどの被害を受けた。
◆風評被害で食料や医薬品の入荷が止まる
次々と救急患者が搬送され、群馬県や静岡県など県外の救急隊が応援に駆けつけてくれた。また、心肺停止状態の患者や、海水や砂で窒息状態の患者が運ばれ、救命処置が続いた。津波で家とともに薬が流されてしまったたくさんの患者も病院を訪れた。朝夕、廊下に院長をはじめ、病院の管理者が集まった。放射能汚染の風評により食料や医薬品の入荷がないため、点滴や抗生剤の残数、酸素やレントゲンフィルムなどの残量が毎朝報告され、心細く不安な中での医療活動だった。
そんな中で、「正確な情報を伝えること、皆で力を合わせること」を確認し、看護体制は3交代勤務を続け、震災翌朝、医師会とともに避難所を巡回した。また、シフトの組み直しや救急看護師の増員にも迫られた。津波で家を失った職員に対し、看護部として官舎で共同生活ができるようにしたり、子供やお年寄りの世話をし、職員が風呂に入れるよう病院の浴室を開放するなど、日常生活に近づけるように配慮した。
堀内氏は、「励ましの言葉で気持ちを1つにし、カップラーメン一つ一つに書かれた励ましのメッセージに元気づけられ、慈恵医大柏病院看護部からは心の癒しグッズが届けられ、天皇皇后両陛下のご訪問をいただき、とてもありがたく思いました」と振り返る。
◆震災で中断した相馬灯プロジェクトが始動
その後、5施設は外来と一部入院患者の受け入れが開始され、相馬灯プロジェクトは7施設1学校での実施が可能となった。新人看護職員は、避難や退職により23人から15人に減少。もともとは近隣の病院が一致団結して新人を育てる仕組みをつくるという、このプロジェクトを始動させるため、10年10月に各病院の看護部責任者でプロジェクト組織を結成し、これからという時に起こった震災。堀内氏は、「気も滅入り頓挫しそうなときに、『何かお手伝いできませんか』と声をかけられた。数日後、その女性は4月入職予定の新人で、自宅から歩いて病院に駆けつけてくれたことがわかりました。大災害の中で、看護の道をスタートしようとしている新人の存在は、プロジェクトを進めるよう私の背中を押してくれました」とエピソードを披露した。
ようやく、11年6月に第1回研修会、救急看護の開催にこぎ着けた。新人とプロジェクトメンバー全員が「相馬の灯り」となることを目指して、そろいのTシャツを着て研修会に臨み、11年7月に第2回研修会、感染管理を開催した。11年8月には第3回研修会、看護人事を開催した。様々な事例について、新人が考えながら人事交流を理解した。ニュースレター相馬灯通信の発行、病院長や事務部門などそれぞれの組織全体への広報を努めた。11年の4月と8月には、新人に対し不安に関する調査を行い、その結果、4月時点と8月時点では、生活と人間関係についての不安は「やや強い」から「普通」へと変化し、仕事についての不安は「強い」「やや強い」が90%から79%に減少したものの、依然高く推移していた。
新人からの評価は、80%以上の新人看護職員が研修内容に十分満足していると答えた。その理由として、「大切なことを学んだ」「基礎を学んだ」「現場対応を学んだ」「新たな知識が獲得できた」といった学習体系の評価がなされ、研修方法について満足していることもわかった。
この中には、グループワークの場で、他の新人の意見を聞くことにより、刺激や気づき、発見があったことや、グループワークで自分の意見が言えたことや他施設との交流ができたこと、看護学校での施設設備の利用ができたことへの評価も多くあった。
◆新人看護職員の不安軽減で震災時も仕事継続
プロジェクトの結果、協議会形式での新人集合研修の運営により、災害時の管理者同士の精神的な支援や施設を超えた相互支援につながった。新人看護職員の仕事に対する不安は大きいが、集合研修などを受けることによる不安の軽減があれば、震災の困難な状況にもかかわらず、仕事を継続することができた。
その後の経過は、受講対象を2年目職員まで拡大し、新人集合研修のPRや看護学校の卒業生の就職施設への情報をもとに、クリニックなどに受講を働きかけた結果、13年度の参加は9施設の新人28人全員が受講した。看護学校の卒業生の地元への就職率は、震災後、30%前後まで下がったが、14年度は地域医療に貢献したいと6割近くの人が相馬地方に就職するという。日本看護協会の調査では、看護師確保・定着に効果があった対策の第3位が新人の教育研修体制の充実となっている。
ちなみに、同地域の震災前後を比較すると、看護職員は74%、病床稼働率は98.2%、運用病床総数は57%と低く、看護師不足による様々な影響が出ている。
◆「新人看護職員が患者・相馬の灯りとなれ」
堀内氏は「3.11という大災害に遭遇し、時期を同じくして本プロジェクトを遂行したことは意義深い。どのような状況下にあっても毅然とした態度で仕事に臨める、そのような看護職員を育てたいと考えます。そして、命と向き合う新人看護職員が患者の灯りとなり、相馬地方の灯りとなることを願い、このプロジェクトを続けていきたいと思います。大切なふるさとが1日も早く戻るように願っています」と講演を結んだ。