(株)産業タイムズ社 代表取締役社長 泉谷渉
JPCA Showの会場に汗を拭きながら立っている。国際色豊かなこの展示会はプリント配線板、モジュール基板、各種の実装基板さらにはその関連の部材・装置の展示会として知られている。日本電子回路工業会がメーンの主催者であり、筆者の所属する半導体産業新聞も主催者の一角に加えていただいているのだ。
会場のあちこちに知り合いがいるため、ブースを回るのにもひと苦労であり、ようやくにして喫煙スペースを見つけて休んでいた。ところが、隣で弁当を食べて騒いでいる人達は、明らかに韓国語で声高らかにしゃべっている。そして、向かいの見目麗しきお姉様たちの群れはどうみてもチャイニーズなのだ。その他にも、よく分からない言語で話し合っている人達が多くいる。ああ、日本の電子回路もついに世界、とりわけアジアに拡がってきたわけだ、という素直な感想は、とてもではないが持つことはできなかった。
プリント配線板の老舗・大手のCMKブース(JPCAショウ2013)
大手のCMKのブースにはさすがに多くの人達が来ていた。中央銘板工業(これを略してCMKと後に社名変更)というネームプレートの会社が、今やこの電子回路については世界を代表する企業になった。片面の紙フェノールが全盛の時代には、CMKをはじめメイコー、山本製作所などを取材したが、その後両面スルーホール、ガラスエポキシ多層板と技術は進んだ。ついには折り曲げ可能なフレキシブル板(FPC)の登場となったが、最近ではプリント板メーカーに足を運ぶことが少なくなった。もちろん、わが社には電子回路の番記者が多くおり、取材はそちらに任せているからだ。
さて今から35年前、つまり筆者が記者デビューした70年代後半には、よく川崎や横浜などのプリント基板メーカーを回ったが、めっきのにおいのぷんぷんする中で、工場長も自分もそこらにあるミカン箱に座って話していたことをよく覚えている。そうした折に、「今はこんなに小さな町工場でがんばっているが、いつかは世界の大きな舞台で勝負したい」と言っていた若き技術者の声が、今もこの耳にこびりついている。
しかして、彼らの希望は今日において叶えられた。電子回路製造の大半が海外、とりわけアジアに移ってしまい、今度は国内空洞化という問題が出てきた。70年代当時に、こうなると予想した人はかなり少ないだろう、と思われる。
CMKの製造拠点を見ても中国が3カ所あり、能力はそれぞれ6万m²、1万7000m²、6万m²、マレーシアが1万m²、タイが2カ所で5万5000m²、1万5000m²となっている。もちろん、国内製造もきっちりとやっているが、やはり一大量産拠点はアジアにシフトしているのだ。「小さい町工場から世界の工場へ」とプリント板メーカーの多くが描いた図式は、ひたすらコストの安い国へという流れから、現実のものになっていったのだ。
さて、電子部品と総称される中で電子回路製造業のポジションは現状でどうなっているのだろう。国内の半導体や液晶などの電子デバイス製造業がおおよそ6兆9000億円、コンデンサー、コネクターなどの一般電子部品がおおよそ2兆4000億円。これに対し、電子回路製造は2兆5000億円の規模を維持しており、重要なことは、今だに最先端技術で先行し、世界のマーケットシェアにおいても高いポジションを維持していることなのだ。
それにしても日系企業の電子回路基板の総生産は、今や43%が海外にシフトされており、業界予想では2015年には間違いなく海外生産が国内生産を上回るという。それでも2007年ごろから本格化してきた最先端の部品内蔵基板はやはり国内中心であり、2017年には現状に対しほぼ倍増の勢いにあるという。
今回のJPCA Showは出展者数は434社、小間数1320という規模であり、昨年とほぼ同規模の水準となった。しかして、会場で多くの知人に会ったが、多くは「どこがアベノミクスなのだ。我々、エレクトロニクス関連の製造業にはいまだ効果は表れていないぜ!!」と叫んでいた。
電子回路または実装というお仕事は、いわばエレクトロニクス製造の文字どおり“基板”であるのに、あまり目立たない存在だ。野村克也氏はかつて「長嶋茂雄は大輪の花、自分は目立たない月見草」と評したが、電子回路業界においても「我々は目立たない黒子に徹する」という人が多い。しかして、ひっそりと咲きながら、世の中のお役に立っているという美学はそれこそ、ニッポン人古来のものではないのか。JPCA Showが事実上、15万人を動員する世界最大の電子回路関連の展示会として発展し続けることを、心から願っている。