三井不動産(株)が、官民地元とともに東京・日本橋エリアで推進している「日本橋再生計画」は、2019年から第3ステージに入った。04年から開発物件の開業が始まった第1ステージ、14年からの第2ステージで、多様な機能を集積したミクストユースの街づくりを行ってきたが、第3ステージはこれをさらに進化させ、エリアの顔ともなる水辺の再生や新たな産業の創造など、一層の発展を目指していく。同社日本橋街づくり推進部 事業グループ グループ長の町田収氏に聞いた。
―― 日本橋の歴史、再生計画のスタートは。
町田 江戸時代には、日本橋に魚河岸(市場)があり、多くの人で賑わう場所だった。当時の江戸は人口が100万人以上いたと言われ、おそらく世界一の人口を誇り、その中心地が日本橋であった。時代は流れ、関東大震災を機に魚河岸が築地に移転、1990年代後半になるとバブル崩壊の影響もあり、かつて繁栄を誇った日本橋の賑わいが失われつつあった。
地元の方々も相当な危機感を持つ中、当社は日本橋地域ルネッサンス100年計画委員会を地元の方々と立ち上げた。そして、日本橋に賑わいを取り戻そうと開始したのが日本橋再生計画だ。
―― 第1、2ステージの成果について。
町田 まず、第1ステージから一貫して「残しながら、蘇らせながら、創っていく」をコンセプトに掲げて開発を行ってきた。これまで引き継がれてきた歴史的建造物や街の文化は残しながら、福徳神社の社殿の再建など街の資産や人の賑わいを蘇らせ、商業施設や新たなイベントなど次世代に誇れる魅力を創っていくことに取り組んできた。
主に第1ステージでは、04年に「COREDO日本橋」、05年に「日本橋三井タワー」、10年に「COREDO室町1」、第2ステージでは14年に「COREDO室町2」「COREDO室町3」が完成したほか、「福徳神社」の社殿の再建を行い、産業創造に向けて「日本橋ライフサイエンスビルディング」なども整備した。また、高層複合ビルの開発に加え、我々が「ムロホンシリーズ」と呼ぶ、昔ながらの路地空間に既存施設をリノベーションしたり、低層店舗を建てたりし、新たな飲食店や物販店を誘致することで街歩きが楽しめるような賑わいづくりを行うことも第2ステージで続けてきた。
街の機能の多様化により来街者も多様化した「ミクストユースの街づくり」、日本橋の歴史背景を踏まえた「街固有の特徴を活かした街づくり」、産業創造でライフサイエンス領域での様々な取り組みを行ったことによる「新産業の推進、イノベーションの進化」がこれまでの成果として挙げられると思う。
―― 19年夏に第3ステージを発表しました。
町田 日本橋の将来ビジョンとして「未来に続く街道の起点、日本橋」を掲げた。日本橋は五街道の起点であり、江戸時代は日本全国から色々な人、モノ、コトが集まってきた。これからの時代の日本橋は、日本のみならず世界中から色々な人、モノ、コトが集まり、そして、それらが交わり反応することで、日本橋から新たなビジネス、商品、文化が生まれ、世界に発信していくことを目指したい。
―― 具体的な取り組みは。
町田 「豊かな水辺の再生」「新たな産業の創造」「世界とつながる国際イベントの開催」の3つが重点構想である。その中でもコアとなるのが「豊かな水辺の再生」である。
今後、日本橋川沿いでは25年竣工予定の日本橋一丁目中地区など、敷地面積約6.7ha、施設の延べ床面積約37万坪の5つの再開発が予定され、この再開発や首都高の地下化が実現すると、川幅約100m、長さ約1.2kmにもなる巨大な親水空間が誕生する。川沿いには商業店舗のほか、広場やオフィス、住居系のアコモデーション施設などを織り交ぜた、高度なミクストユースの開発により、賑わいが創出される予定である。また、ウォーカブルネットワークと呼ばれる、歩いて色々な場所に行ける歩行空間を整備することで、実は日本橋と近い距離にある東京駅から親水空間を散策しながら日本橋を巡ることができるようになる。
親水空間に歩行者ネットワークが完成することにより、東京駅周辺と日本橋エリアが一体化する。さらに日本橋を中心とした舟運ネットワークが浅草や羽田など多彩な拠点とつながっていくことで、日本橋は東京の大動脈を生む街となり、人の流れを大きく変えるポテンシャルを持っていると思う。
このほか「新たな産業の創造」では、これまで取り組んできたライフサイエンスに加えて、「宇宙」「モビリティ」「食」を新たな産業領域として設定。それぞれの分野の人やコトが日本橋に集まり、交流が生まれるような「場所」、「機会」を提供したい。「世界とつながる国際イベントの開催」では、街全体をイベント会場化するようなことを考えていく。これまで整備してきたカンファレンス機能に加え、広場空間である「福徳の森」や「大屋根広場」などを合わせて活用する企画を実現していきたい。
また、これらの構想を実現するための手法として「共感・共創・共発」を掲げている。当社の想いに共感していただいた方々に集まっていただき、コラボレーションしながら、ともに議論しプロジェクトを進め、日本橋オリジナルを創り、世界に発信していきたい。
―― 最後に抱負をお聞かせ下さい。
町田 街づくりは「これで終わり」ということはなく、脈々と続いていく。その中で、今般節目ということで第3ステージを発信した。街づくりは当社だけでできるものではないので、地元の関係者や行政、アカデミアの方など様々な人たちと一体となって、同じ目標に向かって進めていきたい。海外の方にも「東京の日本橋」を知って関心を持ってもらえるような取り組みを継続して行っていく。
(聞き手・編集長 松本顕介/若山智令記者)
※商業施設新聞2327号(2020年1月7日)(1面)
デベロッパーに聞く 次世代の商業・街づくり No.323