バブルの象徴はジュリアナ東京の
お立ち台の女性たち
(朝日新聞社提供)
1989(平成元)年という年は、日本のバブルの頂点ともいうべき年であった。金余りニッポンのバブル状況はこの年ピークを迎え、若者たちは渋カジで決めまくり、若い女性たちの一部はミツグくんとアッシーくんを使い回し、トレンディードラマに夢中になっていた。ゲームボーイが登場し、大画面カラーテレビが飛ぶように売れていた。
世界に目を向ければ、第二次大戦後、東西ヨーロッパを分断していたベルリンの壁が崩壊、米ソ首脳会談で東西冷戦の終結が宣言された。一方、中国では民主化運動が盛んとなり、天安門事件が勃発する。激動の昭和時代が終わりを告げ、平成時代がスタートすることになったが、戦後のスーパースターとして絶大な人気を誇った美空ひばりも、伝説の武道館の不死鳥コンサートを最後に死去。昭和の終焉を象徴する出来事であった。
さて、1989年の世界半導体市場は過去最高の487億6300万ドルを記録した。これで85年から5年連続の上昇となり、この間に市場規模は実に2.27倍に拡大していた。パソコン、ワークステーションといったOA機器が堅実に成長していることが好調の最大の要因であった。
東芝はノートブック型パソコン「DynaBook J-3100SS」を発表し、世界の注目を浴びる。東芝はその後この分野で、90年代はずっと世界トップシェアを維持し続けた。クリアビジョン放送も開始され、これに対応するカラーテレビも次々と発表された。シャープは液晶プロジェクターを発表し、90年代に迎える液晶ブームの先駆者となっていく。松下電器産業は、ファジー制御採用の全自動洗濯機を開発する。NECは世界最高速スーパーコンピューター「SX3シリーズ」を発表する。
この頃、世界のマーケットリーダーとなっていた日本国内の半導体メーカーも、相変わらずの好調を続けていた。国内上位30社の89年度半導体生産額は前年度比11.2%増となり、初めて4兆円の大台に乗せた。実に、ニッポン半導体はこの年、ワールドワイド半導体市場の50%強の生産シェアを獲得し、まさに世界の頂点に立つことになったのである。
今となっては夢物語ではあるが、鉄鋼業界もこぞって半導体に新規参入ラッシュとなっていた。先行していた川崎製鉄は、いち早く栃木に250億円を投じたLSI量産工場を自前で立ち上げた。これに続き、NKKが神奈川県綾瀬に200億円を投じて超LSI試作・中量産の工場を着工することを内定した。さらに最大手の新日本製鉄が相模原に150億円を投じてLSIの研究開発センターを建設することを決定する。日新製鋼もLED関連に進出、住友金属工業もASICの設計・開発に乗り出してきていた。また神戸製鋼も米TIとの合弁により、兵庫県下に550億円を投じてLSI量産の新工場を建設することを決定した。
NECは、総合力で世界ランキング1位を堅持しており、売上高6800億円、世界シェアでは約10%、日本シェアでは約18%を握っていた。この頃、ASICと呼ばれるフルカスタムおよびセミカスタムICが大ブームとなり、富士通は世界ナンバーワンシェアを獲得していた。東芝は、主力汎用メモリー、1M DRAMの量産においては大分工場の歩留まり引き上げにいち早く成功し、実にピークで月産900万個を生産し、断然の世界シェアを握った。これに続く次世代の4Mについても制覇を狙っていた。
日立製作所は、2019年の今日まで続くお家芸となるSHマイコンの開発を加速していた。三洋電機はリニア大爆発で前年比30%増となり、成長率は業界ナンバーワンであった。松下電子工業は、グループ初の半導体世界会議を開催し、海外デザインセンターを6カ国、8カ所に展開し、グローバル化を一気に推進していた。しかして、この年の4月、創業家の英雄とも言うべき松下幸之助氏が逝去するのである。
こうしたニッポン半導体が爆裂成長で世界シェアトップにのし上がっていた頃の1989年、ソニーの半導体はどうなっていたのだろうか。83年度に本格的な外販を開始して以来、ソニーの半導体は1989年度まで年平均成長率35%という急成長を記録していた。その牽引役は、AV向けなどのバイポーラ、マイコン、急成長のSRAM、そしてCCDであった。
この年の設備投資は600億円という高水準であり、87年にフェアチャイルドから買収したソニー長崎の4M SRAMに対応した新棟建設(延べ2万6000m²)を含めたSRAMの増産投資、それにCCDの増強投資が中心となっていた。CCDの生産については、ソニー国分セミコンダクタに加え、89年1月からソニー長崎でもウエハー投入が始まり、月産50万個の世界最大規模の生産体制を確立し、ソニーの半導体の大黒柱としてさらに強化する戦略をとっていた。
しかして、この年のソニーの半導体売上高はドルベースでは9.3億ドルであり、世界ランキングでは18位という位置づけであった。世界トップを行くNECの生産金額が45.3億ドルであり、実にソニーの5倍の規模であった。また、日本企業における生産ランキングにおいても、ソニーは第9位という存在であった。この30年後の2019(令和元)年、ソニーの半導体が東芝を抜いて国内ランキング第1位に躍進する勢いになるとは誰も考えられなかったとは言えるだろう。
ソニー躍進が意味することは実のところ大きいのだ。IoTの本格開花期を迎えた今、日本の半導体の歴史上、初めてセンサーがメモリーに勝った瞬間なのである。
■
泉谷 渉(いずみや わたる)略歴
神奈川県横浜市出身。中央大学法学部政治学科卒業。35年以上にわたって第一線を走ってきた国内最古参の半導体記者であり、現在は産業タイムズ社 社長。著書には『自動車世界戦争』、『日・米・中IoT最終戦争』、(以上、東洋経済新報社)、『これが半導体の全貌だ』(かんき出版)、『心から感動する会社』(亜紀書房)、『君はニッポン100年企業の底力を見たか!!』(産業タイムズ社)など27冊がある。一般社団法人日本電子デバイス産業協会 理事 副会長。全国各地を講演と取材で飛びまわる毎日が続く。