今から遡ること35年、1991年は日本の半導体産業にとって大きな転換点となった。この年に日米半導体新協定が調印され、これを契機に日本の半導体産業は一気に凋落していく。そして、同じく91年の1月17日に米軍を中心とした多国籍軍はイラクに向けて爆撃を開始し、湾岸戦争が勃発した。ちなみに、この年の1月に産業タイムズ社によって半導体産業新聞(現電子デバイス産業新聞)が発刊され、筆者はバリバリ30代の若手編集長であった。
それはともかく、この年の半導体を巡る状況はかなり凄いものがあった。91年当時、半導体の最大市場であったパソコンは、総出荷台数が前年比13%減、総出荷金額は同7%減となり、78年以降で初めて前年実績を下回った。また、カラーテレビもビデオも前年実績を割り込んだ。いわば、半導体産業は成長の踊り場に差しかかり、もがき苦しんでいた。
そうしたなかにあって、米インテル社はパソコンのMPU市場で勝者の地位を獲得してきていた。「386」「486」を軸にして、パソコンのメーンCPUとしてはほぼ独占的な地位を築いていた。インテルの91年の売上高は40億5900万ドルに達し、実に前年比28%増という凄まじい急成長ぶりであった。そして、92年にインテルは、当時7年連続で半導体売上高世界一のNECを捉え、世界No.1の地位を獲得した。
それから30年以上、インテルは半導体の世界チャンピオンの座を維持し続けた。一時期、サムスンにトップを取られたことがあるが、その強さは類まれなるものであった。そしてインテルのCPUはパソコンの分野で圧勝し続け、データセンターのCPUとしても採用を増やしたことから、不動の地位は続くと思われていた。
ところが2025年10~12月期における半導体企業の売上高をみると、インテルの売上高は世界ランキングで第5位にまで後退してしまった。トップはAIチップで君臨するエヌビディアであり、その売上高はインテルの5倍近くにまで達している。第2位はサムスン、第3位はSKハイニックスで、AI需要の活況を受けてメモリー半導体の需要が好調に推移した。また、AIデータセンター向けの需要が好調な米ブロードコムが第4位に入り、インテルを上回った。
なぜインテルは失楽園に向かってしまったのであろう。それは前述の状況が示すようにAIデータセンターでの需要の差ということになる。つまりは、半導体の最大アプリケーションがスマートフォンやパソコンからAIに移ったことを意味する。
ちなみにインテルの株価は1月23日に一時18%の大幅安を記録している。これでは先行きが見えない。時代についていけないインテルの状況を考えたときに「おごれるもの久しからず」という平家物語の一節が浮かんできた。
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泉谷 渉(いずみや わたる)略歴
神奈川県横浜市出身。中央大学法学部政治学科卒業。35年以上にわたって第一線を走ってきた国内最古参の半導体記者であり、現在は産業タイムズ社 取締役 会長。著書には『自動車世界戦争』、『日・米・中IoT最終戦争』(以上、東洋経済新報社)、『伝説 ソニーの半導体』、『日本半導体産業 激動の21年史 2000年~2021年』、『君はニッポン100年企業の底力を見たか!!』(産業タイムズ社)など27冊がある。一般社団法人日本電子デバイス産業協会 理事 副会長。全国各地を講演と取材で飛びまわる毎日が続く。