シャープは5月、大型液晶工場の堺ディスプレイプロダクト(SDP)の生産停止を発表した。8月末には最終投入分の製造を終えて稼働停止し、データセンター(DC)への転換に向けた作業が始まる予定である。中小型液晶についても自社生産を終息するわけではないが、需要に応じて工場の能力を適正化し空いたスペースを半導体製造などに転用するとしており、ディスプレーパネル事業としての規模拡大は事実上断念する方針が示された。
液晶のパイオニアとしてディスプレー市場をリードし、長らく事業の柱としてきたシャープがこの決断に至った背景は何だったのか。筆者はシャープが台湾の鴻海グループ傘下に入った16年にもシャープ液晶事業の盛衰を取り上げたことがあるが、SPD生産停止という節目を機に改めて考察してみたい。
液晶事業の頂点としてのSDP
シャープの液晶事業は1970年代の「電卓戦争」で頭角を現し、任天堂の携帯ゲーム機「ゲーム&ウォッチ」や「ゲームボーイ」に搭載されたことでも知られている。しかし、本格的に躍進したのは90年代以降にPCやテレビ、携帯電話などに用いられるようになってからだ。
95年に三重県多気町に三重事業所を開設し、2000年に第2工場、03年に第3工場を相次いで増設。続く04年には三重県亀山市に亀山第1工場を設立し、06年には第2工場を稼働した。同工場で製造された液晶テレビが「亀山モデル」として一世を風靡したのはこの頃のことだ。そして09年、世界で初めてG10マザーガラスを採用した液晶パネル工場として稼働したのが、SDPだった。矢継ぎ早に工場の増強を続けてきたシャープ液晶事業のまさに頂点が、SDPだったといえる。
周知のとおり、その後SDPはシャープの苦境の象徴となる。リーマンショック後の景気悪化、東日本大震災、地上デジタル放送への移行特需の終息とマイナス要因が重なり、大型液晶の不振に苦しめられたシャープは世界的なEMS企業として知られていた鴻海グループとの提携に望みをつなぐ。鴻海創業者のテリー・ゴウ氏所有の投資会社がSDPに出資し、シャープとの合弁体制となったのである。
だが、SDPの負担を軽減してもシャープは不振を脱せず、経営危機に陥る。15年には外部の支援が必要な情勢となり、ジャパンディスプレイ(JDI)の親会社だった官民ファンド、産業革新機構(現INCJ)との争奪戦の果てに鴻海グループが16年にシャープの株式の66%(現在の持分は約57%)を取得し、親会社となった。
鴻海傘下での経営再建
鴻海グループの傘下に入った後、シャープの社長にはテリー・ゴウ氏の腹心で、鴻海精密工業副総裁などグループ経営幹部を歴任した戴正呉氏が就任する。鴻海傘下のシャープは17年度に営業黒字転換を果たしたのを皮切りに、業績の安定化に成功する。ディスプレーパネル事業はセグメント変更もあり数値の変遷を単純比較することはできないが、多少の浮沈はあれども堅調に推移した。
鴻海傘下における取り組みは、戴氏がシャープの役職から退いた後の23年に出版された「シャープ 再生への道」(日本経済新聞出版)で述べられている。それによれば組織体制の刷新や、高コストを招いていた工場ユーティリティーなどの調達契約の見直し、在庫管理の適正化などの構造改革、徹底した効率化が収益改善に寄与したようだ。
6月に社長に就任した沖津雅浩氏も、戴社長時代に各部門トップの責任と組織管理が明確化されたことで素早く的確な意思決定ができるようになったと振り返っている。また、ディスプレーパネル事業においては鴻海グループのネットワークを活用した部材調達やパネル販売ルートの開拓なども寄与したと、当時の決算説明会では述べられていた。経営不振時に業績を押し下げた要因となっていた多額の在庫評価損や工場稼働損の計上が、工場オペレーションの改善で16年度以降はみられなくなったのも印象に残っている。
SDP再子会社化をめぐる紆余曲折
戴氏はシャープの社長に就任後、鴻海の役職をすべて退いた。また「シャープは日本企業」と再三述べ、資本関係としては鴻海傘下にあるものの、あくまで経営の主導はシャープにあるとした。
一方、シャープの液晶技術を海外に展開する先兵的な役割を担ったのがSDPだった。実現はしなかったものの、鴻海がトランプ政権期に米ウィスコンシン州で建設を計画していた大型液晶工場はSDPが事業主体だったとみられる。また、17年には鴻海が中国の広州でG10.5サイズの液晶工場建設を発表し、SDPが事業主体となった。ただしこの工場は立ち上がり時期が競合の中国大手メーカーの台頭やディスプレー市場の不振と重なったこともあり運営が難航し、シャープがSDPを再子会社化した際に対象から外された。
シャープがSDPの再子会社化を発表したのは22年のことだが、これには前日談がある。21年3月に一度SDPの持分を売却すると発表していたものの、発表後に譲渡先からの要請で中止したのだ。この相手方の詳細および、中止の理由は明かされていない。そうした経緯がありながら1年後に方針を真逆に転換して再子会社化を判断したことには、疑問の声が相次いだ。これについて戴氏は地政学リスクの高まりに伴う液晶の安定調達と液晶技術の優位性を保つためという理由を挙げ、あくまでパネル事業としての成長を目指していく方針を語っていた。
だがSDPを連結化した22年度以降にシャープの業績は急落し、23年度にはディスプレーパネル事業が全社の足を引っ張る構図が明白になる。これを受けて戴氏退任後に社長となっていた呉柏勲氏(24年6月に代表取締役副会長に就任)はSDPの稼働停止を発表し、事実上再子会社化が判断ミスであったことを認めたかたちとなった。
「再成長」に欠けていたもの
以上がSDPの稼働停止に至る経緯である。だが、今回シャープはSDPの大型液晶のみならず亀山工場などで生産する中小型液晶についても、路線変更を鮮明にした。戴氏は前掲書でSDPの再子会社化が「日の丸液晶」の結集の呼び水になって欲しいとの夢を語っているが、鴻海がシャープを子会社化した16年とは状況が変わった。当時、シャープの液晶事業の有力な受け皿とされていたJDIは業績不振にあえぎ、JDIとソニー、パナソニックの有機EL事業を結集させたJOLEDも23年に経営破綻した。16年当時のように、日系パネルメーカーを結集させて海外勢に対抗しようというシナリオが出てくる気配はもはやなくなっている。
シャープのパネル事業の再成長に欠けていたものはなんだろうか。呉氏は24年5月にSDPの停止や中小型液晶の生産縮小を発表した際、「長期にわたって工場や技術に十分な投資が行えず、競争力が低下。これが業績低迷を招きさらなる不振に陥るという負のサイクルにつながった」と語った。筆者もこれが最大の要因だと考えている。
シャープは経営危機に陥っていた時期はもとより、鴻海傘下となって以降も攻めにつながる大型設備投資をほとんど行っていない。液晶に続く新たなディスプレーの創出についても、鴻海からの出資金を用いて有機ELの試作ラインを設けたものの、大規模量産にはつながらず24年6月に閉鎖して撤退した。唯一の例外としてJDIから20年に取得した石川県の白山工場が挙げられるが、戴氏によれば有力顧客からの要請で買収を決断したものという。液晶が有機ELにシフトしていくなかでも液晶は一定数残るという目算に基づくもののようだが、拡大に転じる決め手になったとは考えにくい。
沖津氏によれば、戴氏がシャープの経営を指揮していた21年度までは業績の改善が最優先課題であり、投資リソースを増やす話が出始めたのは22年に呉氏が社長に就任してからという。SDPを含むシャープの液晶工場の内情はほとんど公開されていないが、筆者が関係者への取材を通じて聞いた範囲でも十分な投資を行える状況になかったことがうかがえる。
厳しい市況と台頭する競合
戴氏は収益確保に注力して力を蓄え、時間をかければチャンスがあると考えていたのかもしれない。だが、シャープのパネル事業を取り巻く環境の厳しさと変化の速さはその時間を与えてくれなかった。
ディスプレー市場はコロナ禍特需の反動減で22、23年にマイナス成長に陥った。韓国、中国、台湾の主要メーカーは軒並み業績不振となり、24年に期待されていた市況回復も想定より弱いと不安視されている。大型液晶はG10.5工場を擁するBOEやCSOTを中心に中国勢が席巻し、韓国のサムスンディスプレー(SDC)、LGDは有機ELへのシフトを急ぐ。
その有機ELにおいても中国勢の攻勢は激しく、アップルのiPhone向けサプライヤーとして韓国2社に続いてBOEが加わった。従来、高付加価値液晶の主戦場だったノートPCやタブレットも液晶から有機ELにシフトしており、液晶の生存圏はどんどん狭まっている。シャープが今後も注力するとしている分野にXRがあるが、新規ディスプレーデバイスとして中国勢が投資を拡大するシリコンOLED(OLEDoS)が台頭しつつあり安住の地とは言えない。もはやかつてシャープを脅かした韓国大手2社すら、優位をいつまで保てるか分からなくなってきている。
以上を踏まえれば、シャープが自社生産のディスプレーパネルをコアとするビジネスモデルを断念する決断をしたのは、妥当と評価せざるを得ないだろう。SDPの再子会社化というきっかけがなくとも、シャープが遠からずこの決断を迫られたのは必然だったと思われる。
パネル事業はファブレスや外部供与に
では、シャープのディスプレーパネル事業は今後どうなるのだろうか。7月、シャープは報道関係者と沖津氏との社長懇談会を開催した。その場で沖津氏は「ディスプレーパネルの要素技術開発は継続する」とコメントした。先述のとおり、シャープはパネル製造設備への投資は行っていなかったものの、量子ドットを用いた「nanoLEDディスプレー」などの要素技術開発は継続しており、米国で開催される世界最大のディスプレー国際学会「SID」で成果を発表している。沖津氏はこうした要素技術の活用法について、外部供与やファブレスモデルを視野に入れているという。また、詳細は検討中であるもののSDPの大型液晶技術はインドの液晶製造プロジェクトに参画するかたちでの活用を計画する。
ファブレスにせよ外部供与にせよ、成功にはパートナーとの連携が不可欠だ。その際、親会社の鴻海グループとの協力体制も深化が求められるだろう。鴻海はシャープの現経営体制において沖津氏ら執行を日本人に任せ、台湾人経営陣はそれを管理していくかたちで役割分担し、シャープの自律性を尊重するスタンスを変えていない。一方、鴻海の劉揚偉董事長は昨年来定期的にシャープを訪問しており、24年5月の決算説明会ではビデオメッセージを寄せた。6月末に発足した新体制では代表権のない会長に就任している。これらは、鴻海グループとしてもシャープの業績改善にコミットしていくという姿勢の表れとみられる。
前述のとおり、これまで鴻海はシャープの親会社であることを前面に押し出すことを控えていた。戴氏によれば台湾企業の支配という構図が日本社会の反発を招くことを避けるためだったというが、台湾でもシャープの経営不振は懸念されており親会社が協力していく姿勢を見せるべきと判断しているようだ。
6月のシャープの株主総会ではOBだという株主から「現役時代にも鴻海と密接に協力していた印象はなかった。もっと密に連携していくべきだ」という発言があった。確かに当初は鴻海がシャープに出資することに対する抵抗感があったが、もはや昔の話だろう。シャープはDC関連事業など鴻海の強みを活かせる分野では積極的に協力していく方針を示しているが、ディスプレーパネル事業においても鴻海のネットワークによりその要素技術を有効利用して技術面でさらなる深化を実現できるようになって欲しい。長年シャープを取材してきた筆者としては、そう願ってやまない。
電子デバイス産業新聞 副編集長 中村 剛