秋はいい。落ち葉を踏みしめると、サク、サクと音がする。陽の傾いた時分にその音を聞いていると、自然に思いは千々に乱れる。色づき始めたイチョウの下には、銀杏が幾粒も転がっている。木枯らしに葉擦れがして、一葉、枯れ葉がハラリと落ちた。枝の向こうに夕間暮れの月が見える。昔の歌人も言う。思索するのにこれほどうってつけの季節はない、と。
日本の暦は、古代から明治6年まで月の満ち欠けをもとにつくられた。純粋な太陰暦ではなく、太陰暦を基準とし、部分的に太陽暦を使って誤差を調整していたので、太陰太陽暦という呼ばれ方をしている。奈良時代に編纂された日本最古の歴史書「日本書紀」の553年6月の条に、百済から「暦博士(こよみのはかせ)」を招き、暦本を入手しようとしたとの記述があるそうだ。日本の暦の記事としてはこれが最初らしい。
旧暦8月15日に行われることから、十五夜とも呼ばれる観月行事「中秋の名月」は、中国の「中秋節」に由来する。この日の月は1年で最も大きく、明るく、美しいとされ、中国では月餅や果物、枝豆、ケイトウの花などを供えて祝う。日本では、ススキを飾り、月見団子や里芋などをお供えするのがならわしだ。
今年9月19日、私は中秋の名月を思いがけず旅行先の福岡県で見た。道を歩いていると、そこここに、携帯電話を空に向けて写真を撮っている人がいる。たしかにいやに大きな満月だな、と思っていたら、人に今宵は十五夜だと教えられた。中秋の名月は、いつも満月とは限らないのだそうだ。今年までは3年連続で満月が続いたが、次に満月で中秋の名月を拝めるのは8年後だという。
満月には、いろいろな記憶を喚起される。2年前、私は満月を宮城県仙台市で見た。東日本大震災から1カ月が過ぎた、2011年4月18日のことだった。テレビの映像で多くのことを見ていたはずなのに、現地で見たものは私の想像をはるかに超えていた。衝撃を受けた私は、バスで宿のある仙台市内へ向かう帰路、現実を受け入れ、理解しようと苦慮していた。しかし、やがてバスが仙台市内へ着くと、私はなぜかほっとした。まだ余震も続いていたというのに、奇妙なことだった。おそらく私は、現実を直視しようと気負いながらも、心のどこかで現実から逃れたいと考えていたのだった。
その時、私は月を見ている。眼の端にあったような気がするほどで、じっくり鑑賞する余裕などはなかった。ただ不思議とその時の月は今でも煌々として、記憶の中で光を放ち続けている。
中秋の名月が、次に真円を描く2021年、被災地は東日本大震災の発生から10年を迎える。
月見れば 千々にものこそ 悲しけれ わが身ひとつの 秋にはあらねど(大江千里「古今集」)
秋の月を見て、人が人を思う。いくら時代が移り変わろうとも、その気持ちだけは、昔も今も少しも変わることのないように思える。