「石油化学のもっとも基礎的素材となるエチレンコストについて驚くべきことが起こっている。米国においては、ほんの少し前までは1tあたりのコストが1009ドルであった。ところが、シェールガスの大量採掘が可能になってからは、なんと3分の1の323ドルまで下がってきた。これをきっかけに米国の製造業は、まさに大復活を遂げることは間違いないのだ」
こう語るのは、室井高城氏(日本工業触媒研究所代表)である。この発言を聞いて、韓国ソウルの講演会場では、深いため息が聞かれたのだ。室井氏は韓国のE-today新聞社および日本の産業タイムズ社の共同主催による第2回韓日産業フォーラムに招かれて講演されたわけであるが、そのインパクトはかなり大きなものであった。
室井氏は日本ガス合成(株)執行役員、BASF主席顧問、触媒学会副会長などを経て、現在は日本工業触媒研究所代表として多くの講演をこなしている。今回の講演は「シェールガスが石油化学産業に及ぼす影響」というものであったが、米国のシェールガス革命が驚くほどのスピードで進んでいることが思い知らされた。この負のインパクトとして石油化学工業には大激震が起き始めており、ナフサ由来の石油化学カンパニーは、世界すべてにおいて大赤字に転落しているという。
大量で安価に採れるシェールガスを手に入れた米国では、エチレンプラントが建設ラッシュの状況にあり、実に1500万tの生産が新たに生まれてくるのだ。そのほとんどが米国外の輸出に充てられるというのであるから、石油由来で戦うメーカーにとってはたまったものではない。北米エチレンの新プラントは、実に20カ所で進められており、トータル投資額は2兆円を超えてくるというから、「こりゃまあ、たまげた」といってよいのだ。
もちろん主役はダウケミカル、エクソンをはじめとする米国のエネルギー業者であるが、台湾、中国などの外国勢もこの投資に参加している。気になるのは、日本および韓国のカンパニーはこの計画にまったく加わっていないことだ。いわば日韓は蚊帳の外に置かれており、比較的高いシェールガスを買わされるうえに、エチレンについても米国からの供給を仰ぐことになる可能性が強い。
「今のところは、12ドルくらいで日本にシェールガスは入ってくるだろう。しかし、日本をはじめとして、アジアではあまり恩恵を受けないことも想定できる。一番大切な基礎材料であるエチレンを握られてしまえば、どうにもならないし、また一方で、メタノールやアンモニアのプラント新増設も米国で加速度的に進んでいるのだ」(室井氏)
メタノールについては、シェールガスを基本ベースにして5つの会社がプラントを建設しており、その総量は年間456万tにも達する。アンモニアについては、尿素を含めて7つの会社がプラントを建設しており、こちらも年間480万tの能力増強がされるのだ。米国化学産業は、2007年の規模に対して、2020年には何と50%増に膨れ上がることになる。
シェールガス由来の様々な素材を徹底的に強化する米国は、これをベースに様々な化学製品を世に送り出してくるのだ。米国のプラスチック輸出は2011年段階で500万tであったが、2020年には750万tに膨れ上がる。当然のことながら自動車材料、さらには半導体材料、液晶材料、新エネルギー材料などの生産においても米国の優位性は高まる。最先端材料については世界最強を誇る日本勢も、こうなればうかうかとはしていられないのだ。もっとも、シェールガス由来を中心とする米国の戦略が推進されれば、一方でベンゼン、ブタジエン、プロピレンの世界的不足が生じることは間違いないだろう。
ちなみに日本の化学産業の総出荷額は約40兆円であり、雇用者数は88万人である。これに対して米国シェールガスによる雇用創出予測は、現段階においても117万人を超えてくるといわれており、このうち化学関連がその8割以上を占めると目されている。また、シェールガス革命で利得の大きい米国の化学産業の生産出荷額は、これまでに対し28兆円も増えてくるというのだ。こうした傾向に対し、中国はあくまでも石炭にこだわるという独自の道を歩んでおり、エネルギーをめぐる米中の戦略の流れが今後大いに関心を持たれることになるだろう。
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泉谷 渉(いずみや わたる)略歴
神奈川県横浜市出身。中央大学法学部政治学科卒業。30年以上にわたって第一線を走ってきた国内最古参の半導体記者であり、現在は産業タイムズ社社長。著書には『半導体業界ハンドブック』、『素材は国家なり』(長谷川慶太郎との共著)、『ニッポンの環境エネルギー力』(以上、東洋経済新報社)、『これが半導体の全貌だ』(かんき出版)、『心から感動する会社』(亜紀書房)など19冊がある。日本半導体ベンチャー協会会長。全国各地を講演と取材で飛びまわる毎日が続く。