「これはとんでもないことである。2023年6月26日の東京株式市場では、日本の半導体材料メーカーに対する高い評価の機運が強まった。政府系の産業革新投資機構(JIC)が大手のJSRを買収する見通しとなったことを契機に、レゾナックや住友ベークライトなど多くの半導体材料株が一気に上昇するというサプライズなのだ」
こう語るのは、半導体アナリストとして世界的にも著名な南川明氏である。南川氏によれば、世界の半導体材料の62%は日本企業が握っており、いわば一人勝ちの様相にあるという。半導体デバイスという面で見れば、日本のマーケットシェアは国内生産で6%、国内企業で8%という情けないほどの低い世界シェアの数字であるが、材料という分野においては誠にもってひたすら強いというのである。
そもそもが6月24日に流れた一部報道で、JICが半導体材料の大手であるJSRを約1兆円で買収するという報道が駆け巡り、これを契機に一気にというか、軒並みにというか、国内の半導体材料企業にスポットライトが当たったのだ。JSRは、フォトレジストという半導体の重要素材で世界シェアの約3割を握っているが、なんとこれに1兆円の価値がついたのである。
そしてまた日本国政府は、半導体を戦略物資と定めており、国家プロジェクトの戦略カンパニーであるラピダスの巨額の支援を開始しているが、今度はこれを国際競争力が強い素材分野においても、成長投資を継続できる環境を整えようということが背景にあるのだ。つまりは、日本国内における素材から製品までの半導体サプライチェーンをひたすら強くしようというわけである。
ちなみに、6月26日前半におけるJSRの株価はストップ高にあたる22%高の3934円の買い気配となった。同じくフォトレジスト分野で世界トップの東京応化工業、シリコンウエハーの世界最大手の信越化学工業も上昇している。裾野まで波及するという勢いの半導体材料株の上昇は、半導体封止材で世界トップをいく住友ベークライト、半導体後工程材料の世界トップであるレゾナックなどの買いにもつながり、大阪有機化学工業、ADEKA、トリケミカル研究所、フジミインコーポレーテッド、そしてシリコンウエハー世界ナンバー2のSUMCOにまで買い気配が強まったというのであるからして、ただ事ではない。
「半導体材料という分野は、かつて日本が断トツのシェアをとった1980年代に、デバイスと装置、さらには材料の合わせ込みという点で当時のNEC、富士通、日立、東芝、三菱電機、パナソニックなどが国内企業の育成に全力を挙げたことが大きい。とりわけ材料産業は、カスタマイズの傾向が強いために、工場ごとに、または企業ごとに同じ材料であってもまったくタイプの異なるものを作らなければならない。ここに日本の優れ技がある」(南川氏)
いうところの最近の半導体国家支援策においても、大型化するだけではなく、材料企業が多く参画していることが1つのエポックメーキングになっている。大量生産も重要であるが、専用チップで勝負するという作戦もあるのであり、こうした事情について経産省のプロジェクトでRaaSの最高責任者である東京大学の黒田忠弘教授は、次のように述べるのだ。
「日本はトランジスタのデザインという世界でも、量産出荷という世界でも後れをとっている。しかしながら、配線の分野では日本は戦える。パッケージの組み立ても強い。今後の半導体の差別化については3D集積、つまりは実装の分野で頑張ってもらうしかない。ここには世界最強の日本の半導体材料企業が集結する必要がある」
ちなみに、黒田教授は、現状で5nmプロセスの半導体設計に2年がかかり、200人の人員を要し、かつ100億円のコストがかかることを懸念する。今回の国家プロジェクトでは、LSI開発の期間を10分の1、費用を10分の1、そして画期的な低消費電力の半導体デバイスを作り上げることを目標としており、黒田氏はその最先頭に立っているのだ。
日本政府が不退転の決意で取り組んでいる最新版の半導体国家戦略プロジェクトは、ある種サプライズの世界である。世界で初めての1~1.5nmプロセスの半導体を量産しようというのであるからして、業界の中では「そんなことができるわけがない。そんなリスクをとってまでやることではない」とコメントする人も多いのであるが、そういう人には半導体の巨人であるインテルのロバート・ノイス博士の次のような言葉を聞いてもらうしかないだろう。
「安全な場所に留まっていては、成長できない。革新的なことを成し遂げようとするなら、楽観主義でいくしかない」
一方で、SDGs革命が叫ばれる中にあって、データセンターの電力は2030年に現在の9.4倍になるという試算が出されているのだ。すべては人工知能(AI)の4桁データ処理を行わなければならないからであるが、とてもではないが、半導体が追い付いてない以上、何としても日本をはじめ、世界すべてが半導体の革新に取り組むしかないのである。
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泉谷 渉(いずみや わたる)略歴
神奈川県横浜市出身。中央大学法学部政治学科卒業。35年以上にわたって第一線を走ってきた国内最古参の半導体記者であり、現在は産業タイムズ社 取締役 会長。著書には『自動車世界戦争』、『日・米・中IoT最終戦争』(以上、東洋経済新報社)、『伝説 ソニーの半導体』、『日本半導体産業 激動の21年史 2000年~2021年』、『君はニッポン100年企業の底力を見たか!!』(産業タイムズ社)など27冊がある。一般社団法人日本電子デバイス産業協会 理事 副会長。全国各地を講演と取材で飛びまわる毎日が続く。