百貨店が転換期を迎えている、と言われるようになってから随分経つ。客層や消費スタイルの変化などにより苦境に立たされるようになり、特に地方の百貨店では閉館が相次いだ。東京都の立川市でもそれは例外ではなく、1月31日には長らく営業してきた立川高島屋S.C.の百貨店区画が営業を終了した。こうした中、閉館直前の立川高島屋S.C.を訪れてみた。
立川高島屋は1970年に開業した、立川市ではお馴染みの店舗だ。95年には現在の位置に移転し、立川駅周辺の商業のシンボルの一つとして営業を続けてきた。しかし近年は百貨店不振の波を受け、2018年にはニトリをはじめとした専門店を大量導入、施設名も「立川高島屋S.C.」となり、ショッピングセンターとして再出発を図った。そしてこの23年1月31日をもって全体の約3分の1を占めていた百貨店区画の営業を終了し、全店がテナントで占められる完全なSCとしてリニューアルすることとなる。
このリニューアルを直前に控えたある日の立川高島屋だが、平日の昼間にも関わらずそれなりに人は入っていた。特に地下1階の食品フロアは盛況で、行列ができている売り場もあった。閉店セールなども行われていたためか、ニトリなどの専門店フロアよりも全体的に人の入りが多いと感じたぐらいだ。
また地上1階では、立川高島屋の開業と立川市の発展を合わせて振り返るパネル展示「立川高島屋 華集祭」が行われていた。戦前の飛行場開設で人が集まり始めたころからの立川を振り返り、その後の米軍基地設置と経済発展、1970年の立川高島屋開業、米軍基地返還によるさらなる発展と95年の移転、SCとしての出発などの展示だった。パネルの写真にあった垂れ幕でセールをアピールする百貨店店舗や、開業式典のくす玉割りなどは、令和の今から振り返ると懐かしさを感じさせる光景だ。
このパネル展には様々な人が集まっていたが、特に懐かしそうに眺めていたのは高齢の来館者だ。立川の街並みのパネルを熱心に見て「ここには何々があった」という話に花を咲かせており、立川高島屋が長い間立川の街並みとその地域の人々と共にあったことをうかがわせた。立川高島屋S.C.では百貨店区画の営業終了と全店テナント化について「経営環境の変化に対応し、より地域のお客様のニーズに幅広く対応するとともに次世代顧客を獲得していくため」としている。新しく出発する立川高島屋S.C.の姿は、以前のように地域の人々から「立川の顔」として受け入れられるのかどうか、注目されるところだ。