電子デバイス産業新聞(旧半導体産業新聞)
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第511回

トランジスタ発明から75周年を迎え、過去を振り返ることが重要


ニッポン半導体は89年に世界トップシェアの頂点、99年には家電王国

2022/12/16

 1948年(昭和23年)は、ニッポンが敗戦の痛手からはまだ立ち直っていない年であった。戦後のインフレはまさにピークに達していた。50銭のハガキが2円となり、電話、国鉄運賃など公共料金の値上げは、インフレをさらに煽った。公務員給与は賃上げ交渉中に再引き上げをする有り様で、1年でなんと、3倍半にもなった。

 同年11月には、東京裁判において、東条英機ほか7被告に、死刑判決が言い渡された。そして、米ソの冷戦構造は明確に表れてきており、ソ連の西ベルリン閉鎖により、ドイツは東西に分裂、また朝鮮も南北に分かれることになった。

 1947年12月13日、米国ベル研究所において、ウィリアムショックレー、ブラッデン、バーディーンの3人の博士によって、点接触型トランジスタの動作原理が正式に確認された。これを見たベル研究所首脳部は、ゲルマニウム内部を通過して成立する二つの回路の一方が、他方の抵抗を変えるという意味での「トランス・レジスタ」を縮めて、トランジスタと命名した。これを極秘扱いにしていたが、翌1948年6月30日、一般公開に踏み切り、専門誌や一般紙の記者も大勢押しかけ、様々な分野の研究者が大いに興奮したものの、一般マスコミはその重大性に気付くことなく、ニューヨークタイムズの記事は、実に小さな扱いであった。

 半導体産業の始まりは、まさにこのベル研のトランジスタ発明であったが、後から見れば、それは衝撃的なことであった。ただし、このトランジスタの爆発的な応用を考えたのは、日本の東京通信工業(後のソニー)、その後のICの普及を加速させたのは、日本の早川電機(現在のシャープ)、そしてパソコン誕生というミラクルを興したインテルのMPU「4004」を作るよう発注したのは、日本のビジコンであった。

産業タイムズ社刊の「日本半導体50年史」から引用
産業タイムズ社刊の
「日本半導体50年史」から引用
 トランジスタは、75年前の1947年のクリスマスイブの前日に発見されたが、これが今日において65兆円の巨大産業になることを予想した人は、誰ひとりとしていなかった。

 1989年1月7日、バブル絶頂で世界経済を席捲していた我が国において、たいへんに悲しい情報が駆け巡った。深刻なご容体が続いていた昭和天皇が吹上御所で崩御されたのだ。87歳8カ月のご生涯は、歴代最長寿であり、62年14日にわたる在位も最長であった。そして、改元が行われた。記者会見で、「平成」と書かれた額を持っていたのは、小渕恵三官房長官であった。後に、総理大臣となるのである。

 激動の昭和が終わりを告げ、平成がスタートしたが、戦後のスーパースターとして絶大な人気を誇った美空ひばりの死去も、昭和時代の終焉を象徴する出来事であった。カネ余りニッポンのバブル状況はこの年ピークを迎え、若者たちは渋カジで決めまくり、若い女性たちの一部は、ミツグ君とアッシー君を使い回し、トレンディードラマに夢中になっていた。世界に目を向ければ、第二次大戦後に、東西欧州を分断していたベルリンの壁が崩壊し、米ソ首脳会談で東西冷戦の終結が宣言された。一方、中国では民主化運動が盛んとなり、これを弾圧する天安門事件が勃発する。

 1989年の世界の半導体市場は過去最高であった1988年の450億ドルを、さらに8.35%上回る487億6300万ドルを記録した。これで85年から5年連続の上昇となり、この間に市場規模は実に2.27倍に拡大したのである。パソコン、ワークステーションといったOA機器が堅実に成長していることが、最大の好調の原因であった。東芝は、ノートブック型パソコン「DynaBook」を発表し、世界の注目を浴びた。その後、この分野で13年間にわたってトップシェアを維持し続けたわけだが、今日にあってはこのことを知る人は、もう少ないのだ。シャープは液晶プロジェクターを発表し、90年代に迎える液晶ブームの先駆者となっていく。

 この頃、世界のマーケットリーダーとなっていた日本国内の半導体メーカーも、相変わらずの好調を続けていた。国内上位30社の89年度半導体生産額は、前年度比11.2%増となり、初めて4兆円の大台に乗せた。つまりは、ニッポン半導体はこの年、世界半導体市場の50%強という生産シェアを獲得し、まさに世界の頂点に立つことになったのである。

 1999年に入ると、世界の半導体市場は1493億ドルを達成し、4年ぶりに過去最高の金額となった。最大アプリであるパソコンが絶好調であり、84年~99年まで約10年間にわたって情報産業の主役として君臨した。

 この頃日本は、まだ家電という分野では圧倒的に強かった。カラーテレビは世界シェア35%、VTRは世界シェア65%、CDプレーヤーは世界シェア60%をそれぞれ占有し、世界に冠たる王国を築いていた。家庭用ゲーム機は世界シェア独占、デジタルスチルカメラも世界シェア90%という状況であり、半導体生産についても98年度に対し、13.1%の成長を遂げ、トータルで6兆913億円を記録したが、一番伸び率が高かったのは、ソニーである。

 これはひとえに、ゲーム機向け半導体が押し上げていた。ちなみに、80年代後半には、DRAMのシェアも日本勢が90%を占有し、東芝がぶっちぎりトップであった。しかして、99年度時点においてはDRAMシェアはもう7%までシュリンクしていた。そしてこの後に、負けて負けて負け続けるニッポン半導体の歴史が繰り返されるのである。

 2000年の米国シリコンバレーにおいては、ファブレス半導体企業の台頭が目立つようになってきた。クアルコム、ブロードコム、NVIDIAなどが一気に拡大してきており、台湾においてはTSMC、UMCなどのファンドリー企業が一気に押し上げてきている。今日において、ファブレス企業は世界の半導体ベスト10の中でほぼ半分を占める存在に躍進し、ファンドリー最大手のTSMCは、生産金額で言えば2023年にもインテル、サムスンを抜いて世界トップに躍り出ることになると見られるが、この状況を22年前に予想した人はほとんどいない。

(2022年12月20日(火)13:30~17:30に産業タイムズ社はトランジスタ75周年セミナーを開催!! 乞うご期待!!)


泉谷 渉(いずみや わたる)略歴
神奈川県横浜市出身。中央大学法学部政治学科卒業。35年以上にわたって第一線を走ってきた国内最古参の半導体記者であり、現在は産業タイムズ社 代表取締役 会長。著書には『自動車世界戦争』、『日・米・中IoT最終戦争』(以上、東洋経済新報社)、『伝説 ソニーの半導体』、『日本半導体産業 激動の21年史 2000年~2021年』、『君はニッポン100年企業の底力を見たか!!』(産業タイムズ社)など27冊がある。一般社団法人日本電子デバイス産業協会 理事 副会長。全国各地を講演と取材で飛びまわる毎日が続く。
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