1921年(大正10年)12月、野口雨情作詞、本居長世作曲の「青い目の人形」は、まさにビッグヒットを放つ童謡であった。このコンビは、横浜の波止場を舞台とした「赤い靴」を世に送ったことでも知られている。
「青い目の人形」の歌詞の一節に、次のようなものがある。
「青い目をしたお人形は、アメリカ生まれのセルロイド」
おそらく子供の頃であれば、多くの人が口ずさんだ歌詞なのである。
さてところで、この曲が作られた年の2年前の1919年に、瀧川セルロイド工業所(現タキロンシーアイ(株)というカンパニーが創業した。当初は再生セルロイドの販売から事業を立ち上げていった。太平洋戦争が終わって10年後の55年に、燃えやすいというセルロイドの弱点を克服するために、硬質塩化ビニル板(タキロンプレート)を開始して一世を風靡する。関西地方にあっては、雨どいやナミ板のことを「タキロン」と一般的には呼んでおり、その知名度は大変なものである。
今日にあって、タキロンは同じ伊藤忠グループのシーアイ化成と合併し、連結売り上げは22年3月期で1419億円を達成している。ここにきて、売り上げ急増の勢いにあるのが高機能材事業であり、とりわけ半導体製造装置向けの難燃プレートはまさに黄金商品として、活況を極めているのだ。
創業87年の歴史を持つタキロン(株)
(現タキロンシーアイ(株))網干工場
兵庫県たつのにあるタキロンシーアイの網干工場は、1935年(昭和10年)にセルロイドの製造・加工を行う量産拠点として、その歴史の第一歩を踏み出した。1954年には、燃えないセルロイドを目指して硬質塩化ビニル板の製造を開始する。1958年には連続押出方式によるナミ板と、硬質塩化ビニル板の製造設備を新増設し、その地歩を築くのだ。
「タキロンシーアイの歴史は100年以上となっているが、網干工場についても87年という長い年月を積み重ねた伝統がある。これは何物にも代えがたいものであろう。長く引き継がれた製造工程への愛着は、かなりのものがある。そして、お客様にも長く支持されてきた」
こう語るのは、タキロンテック(株)の代表取締役社長である大久保俊哉氏である。同社は、2014年10月にタキロンサービス(株)にタキロン(株)(現タキロンシーアイ(株))網干工場の製造関連部門が統合される形で発足された。
タキロンテックの経営理念は、次のようなものである。
1. 人を大切にします。
2. お客さまが求める価値の実現に挑戦します。
3. 地球環境保護をこころがけ、社会に貢献します。
「タキロンテックにあっては、常に強い探求心と実行力で技術の進歩に挑戦していくが、工場である限り、まずは何と言っても安全第一ということが掲げられる。そして、かつてのような徒弟制度のような明確な上下関係は払拭され、すべての社員が自由闊達に、かつ平等に対話できる風土づくりが大切だと切に思っている」(大久保氏)
タキロンテック網干工場においては、高機能材料として、FMプレート、静電プレート、無金属プレート、電磁波シールドプレートを製造しており、このうち半導体製造装置向けの難燃材となる「FMプレート」は、すさまじい勢いで生産を伸ばしてきている。高機能材料全体は80%、住設資材は20%という生産状況であるが、生産設備の改造、さらには難燃の塩ビプレートに大きくシフトするという体制を敷くことで、お客様の要望に応えてきた。この間の増強策で、2桁は生産能力を引き上げたのだ。
網干工場の中には、木造の古い建屋も残されている。まさに文化財と言ってもよいほどの工場の一角がある。そこには、無限大を表すマーク(∞)が貼られている。工場内を歩きながら筆者は、日本国内にはこうした文化財とも言うべき工場が多くあり、産業遺産に富んでいるわけだが、これをもっともっと観光資産として活かすべきではないか、との思いが込み上げてきた。いわゆる神社仏閣の観光地が圧倒的に多いのであるが、神奈川県の川崎に見られる夜のケミカルプラントは、いわゆる「工場萌え」と言われるほどであり、観光名所ともなっている。
それはさておき、このタキロンテックの網干工場の周辺は、歴史ある街と豊かな自然に富んでいる。日本一の名城と謳われ、世界文化遺産にも指定されている姫路城も近い。綾部山の24haに及ぶ梅林、古い港町である室津港、京阪神随一の遠浅の新舞子海岸などすばらしいロケーションが網干工場を取り巻いているのだ。
「工場のミッションとして、社会・地域への貢献活動も重要だ。網干工場では、地域住民とともに環境保護、地域活動に注力しており、地域の祭りにも参加している。また、ごみを拾ったりする美化活動、消防訓練にも参加しており、住民の方々とのコミュニケーションを図っている。その一方で、TPM特別賞、工業技術院長賞などの表彰も受けている。タキロンシーアイ(株)のように創業100年に向けて、今後も頑張っていきたい」(大久保氏)
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泉谷 渉(いずみや わたる)略歴
神奈川県横浜市出身。中央大学法学部政治学科卒業。35年以上にわたって第一線を走ってきた国内最古参の半導体記者であり、現在は産業タイムズ社 取締役 会長。著書には『自動車世界戦争』、『日・米・中IoT最終戦争』(以上、東洋経済新報社)、『伝説 ソニーの半導体』、『日本半導体産業 激動の21年史 2000年~2021年』、『君はニッポン100年企業の底力を見たか!!』(産業タイムズ社)など27冊がある。一般社団法人日本電子デバイス産業協会 理事 副会長。全国各地を講演と取材で飛びまわる毎日が続く。