電子デバイス産業新聞(旧半導体産業新聞)
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第503回

アントニオ猪木の「燃える闘魂」を今こそ思い出す時が来た!


80年代の半導体王国ニッポンは、夢を追い続けて頑張り世界の頂点

2022/10/21

 「もし、そこに夢がなければ、そこに夢をつくって生きてきた!」

 いつまでも、あくまでも、どこまでも夢を追いかけてきたアントニオ猪木の言葉である。しかして、ついに79才の生涯をとじて天に昇って行った。彼が大活躍した1980年代という時代が、はるか彼方に消えていった思いがあった。しかして猪木の「燃える闘魂」は死してもなお、生き続けているのだという気持ちにもなった。

 アントニオ猪木のプロレスは他のレスラーと際立って違っていた。「ストロングスタイル」という師匠のカール・ゴッチの教えを固く守り、フェイクと見世物そしてショーマンシップが売りのプロレスとは一線を画していた。そしてまた殴られ、蹴られ、場外に落とされ、額を割られて血だらけになり、もうダメかと思われる一瞬の隙をついて、延髄切り、原爆固め、コブラツイストなどの大技で一発で仕留める、という試合の手法にも感動すべきものがあった。9割9分負けていても、絶対にあきらめることなく、最後の力で打ち取っていくという猪木の姿に号泣しながら、拍手喝さいを送っていた人たちのなんと多かったことか。

 リングを離れてからは、「国会に卍固め」のキャッチフレーズとともに、プロレスラー初の国会議員となり、イラクでの人質解放に尽力した。いまだに関係の悪い北朝鮮との間にもパイプをいっぱい作り、現地でイベントも多く開催している。彼の作った政党は「スポーツ平和党」と名付けられたが、言いえて妙である。ただひたすらにリングで戦い続けた猪木が、スポーツを通じて平和を実現するという高い理想を掲げたのであり、共鳴する人も多かった。

 猪木が大活躍した全盛期の1980年代は同時にニッポン半導体が世界一に上り詰めていく時であった。1980年と言えばモスクワ五輪に日本が不参加であり、スーパースターともいうべき山口百恵が涙の引退をした年でもあった。その時の日本の半導体各社は過去最高の設備投資を断行し、一気に世界レベルに追いついていく。

 そして1970年代後半に断行された超LSIに関する国家プロジェクトにおいて、黄金武器の光学ステッパー開発に成功したことで、歩留まり、品質という点で、欧米各社に決定的な差をつけることになったのである。1982年はCDプレーヤーの元年であり、ソニーは現在のCMOSイメージセンサーの前身であるCCDの量産に踏み切った。1983年には国内半導体メーカーの生産は前年度比41%増となり、米国半導体工業協会は目をむいて対日批判を行った。

 1985年には半導体は大不況に陥り日米摩擦が激化するが、日本勢は超頑張り、この年NECは世界ランキング第1位に躍進する。1988年は1MDRAM戦線において日本圧勝となり、世界シェア9割を握るすさまじさであった。そして東芝はこの分野で世界の頂点に躍り出るのである。1989年は平成元年になった年であるが、世界一の夢を追い続けたニッポン半導体はシェアの50%強を占有し、ぶっちぎりの強さは国内外を驚かせた。

 アントニオ猪木はそうした80年代にあって、一生懸命に頑張る人たちに、夢を与え元気を与え、そして道はどんなに険しくても笑いながら歩こうぜ、と呼びかけた。筆者もまた猪木の夢にかける姿を泣きながら見ていた観客の一人であった。

 猪木が常々言っていた言葉としては、次のようなものがある。

 「死ぬ最期の瞬間まで、死ぬ一瞬まで輝いていたい。」

夢を追い続けたアントニオ猪木(写真提供:(株)亀田プロモーション)
夢を追い続けたアントニオ猪木
(写真提供:(株)亀田プロモーション)
 ほとんど治らないという難病におかされてもなお猪木は、やせ衰えた姿をさらしてでも、病床から「元気ですかあ」という、励ましの言葉を送り続けた。その姿は多くの人たちに感銘を与えたであろう。

 筆者の友人たちは皆声を揃えて「アントニオ猪木こそ国葬にすべきだ!」と、叫んでいたのだ。クールに言わせていただければ、安倍元総理の国葬は2万7000人以上を集めたとして大きく報道されたが、アントニオ猪木の引退試合は、何と7万人を集めているのだ。決して消えることのない「燃える闘魂」を、信じている人たちがいかに多かったのかを語る出来事であったといえよう。


泉谷 渉(いずみや わたる)略歴
神奈川県横浜市出身。中央大学法学部政治学科卒業。35年以上にわたって第一線を走ってきた国内最古参の半導体記者であり、現在は産業タイムズ社 代表取締役 会長。著書には『自動車世界戦争』、『日・米・中IoT最終戦争』(以上、東洋経済新報社)、『伝説 ソニーの半導体』、『日本半導体産業 激動の21年史 2000年~2021年』、『君はニッポン100年企業の底力を見たか!!』(産業タイムズ社)など27冊がある。一般社団法人日本電子デバイス産業協会 理事 副会長。全国各地を講演と取材で飛びまわる毎日が続く。
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