福岡県の片田舎に生まれたその少年は、9歳で父が亡くなり、14歳で母が末期癌になった。その時から、生活保護家庭という環境の中で育つことになった。
それだけでも大変なことなのに、16歳の時に母が死亡し、病床の母はやくざ絡みの税理に騙され、借金1000万円が残された。結果的には、25歳で完済することになるが、毎月5万円の返済をしても7.5%という超高金利のために、借りた元金は増える一方であった。
それでも、この少年は奨学金で久留米高専へ行ったが、借金返済のため高校課程で就職し、日本タングステンに入社してセラミック製造エンジニアとなる。
(株)ピーエムティー 代表取締役CEO
京谷忠幸氏
その後商社で様々な事業を学んだ。「新しいことをやりたい」「社会に貢献したい」「人を創ることで感動ある人生を歩みたい」との考えを実現すべく、ピーエムティーを起業したのである。
「ピーエムティーは、超精密ナノステージを武器とする様々な製品を開発している。08年には元気なモノ作り中小企業300社の表彰を受けており、12年には国家プロジェクトのミニマルファブに参画し、マスクレス露光装置開発に携わった。これは、産業総合研究所との連携であった。この連携により、両面アラインメント機能付きミニマルマスクレス露光装置の研究開発、ミニマルファブによる異種デバイス集積モジュールのプロセス開発および試作も進めていった」(京谷氏)
17年には、経済産業省より九州の地域未来牽引企業にも選ばれている。同社の守備範囲は非常に広い。半導体・電子部品業界を対象とした精密部品の受託加工や精密金型、FA機器などの設計・製造をはじめ、医療・バイオや食品など幅広い業界を対象に、ロボット制御技術を活用した自動化システムなどの開発を行っている。主要取引先はソニーグループ、日立グループ、NECグループ、東芝グループ、京セラグループなど、大手有名企業が多いわけであり、これまた技術による信頼性を獲得していることの証左であると言ってよいだろう。
「スタッフや部下に対して常に伝えていることは、志を持って生きて欲しい、ということだ。やらされて仕事をするな、とも言っている。自分で生きがいを見つけ、どんなことにも挑戦して欲しいと常に思っている」(京谷氏)
ピーエムティーにあっては、自己啓発のための資金投入は惜しまない。一人年間1万~2万円分の本代は会社が支出する。そしてマスター・ドクターを取るための徹底的な支援も行っている。
いまや半導体をはじめとする世界の技術の動きは激動の中にある。それでもピーエムティーが掲げる「心を高め社会と共生、全従業員の物心両面の幸福の追求」という経営理念は、決して揺らぐことがないのである。
生活保護を受けていた頃に見上げた福岡の青空は、決して明るいものではなかったのだ。中学校を出た頃には、高校受験の頃は、中卒で働く自分には何のために勉強するのかと意味が分からず無気力になり、奮起して入った高専入学後に母親が亡くなり借金もあって自暴自棄にもなり、夜遊び、バイクも乗り回したという。
そこから、一大転換して気鋭のベンチャーを創るに至った京谷忠幸氏の人生は、誠にもってご立派であるとしか言いようがない。また、47歳で山口大学大学院へ入学、修士3年、博士5年を経て55歳で博士(学術)学位を得てコンプレックスさえも克服していったのである。
京谷氏が創ったピーエムティーを中核としたグループは、ここ数年で売り上げ100億円に乗せていくというのであるからして、これまた驚きなのである。
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泉谷 渉(いずみや わたる)略歴
神奈川県横浜市出身。中央大学法学部政治学科卒業。35年以上にわたって第一線を走ってきた国内最古参の半導体記者であり、現在は産業タイムズ社 取締役 会長。著書には『自動車世界戦争』、『日・米・中IoT最終戦争』(以上、東洋経済新報社)、『伝説 ソニーの半導体』、『日本半導体産業 激動の21年史 2000年~2021年』、『君はニッポン100年企業の底力を見たか!!』(産業タイムズ社)など27冊がある。一般社団法人日本電子デバイス産業協会 理事 副会長。全国各地を講演と取材で飛びまわる毎日が続く。