全国都道府県数ある中でもっとも多くの総理大臣を輩出している県はどこであろうか。それは言うまでもなく山口県なのである。かつて、長州と呼ばれたそのエリアにいる人たちは熱くて揺るぐことなく突き進むことが特徴であり、そしてまた天下国家のことを常に考えて動くという特徴をもっている。
初代総理大臣であった伊藤博文は憲法を制定し、内閣制度を創設し、明治18年に史上最年少の44歳で総理大臣になり、通算4度就任した。その後には、山県有朋、桂太郎、寺内正毅、田中義一、岸信介、佐藤栄作、そして安倍晋三氏と続くのである。
山口県下に長州産業というカンパニーがあり、創業者の岡本要という人に取材していた時にひたすら吉田松陰の教えを説いていたことを覚えている。同社は、太陽光発電の世界のマーケットシェアがほぼ中国独占という状況下にあって、国内で唯一太陽電池モジュールを量産していることで知られており、まさに長州スピリッツの気骨あふれる企業なのである。
とんでもない維新回天という大仕事をする上で、多くの影響を与えた人が長州の吉田松陰であった。松下村塾から久坂玄端、高杉晋作、桂小五郎、伊藤博文など、明治維新を推進した熱き男たちが何人も出てきたことは世に知られている。かの岡本氏は筆者に向かって常にこういう言葉を述べていた。
「松陰先生の説かれた言葉は、常に日本という国家を意識し、欧米列強、およびアジアの人たちを見据えて動け、ということであった。熱くて揺るぐことなく突き進めと諭されたのだ。これが長州スピリッツである。惜しくも悲しくも、東京の小伝馬町の牢屋敷で亡くなられてしまったが、この教えは今にも生きている」
なにか遠くを見るような厳しくも優しい視線で岡本氏はこう語られていたが、「ところで泉谷クン、君の会社はどこにあるのかね」と聞かれ、筆者はどぎまぎしてしまった。小さい声で「小伝馬町にあるんですぅ」と言ってみたけれど、ギョロッと睨まれてしまった。
さらに聞かれて、「ところで君はどこに住んでいるのかな」と言われたので、これまた小さい声で「横浜で生まれ、横浜で育ちました」とつぶやいた。心の中で言っていたことは、「吉田松陰を殺した井伊直弼は横浜開港の大恩人なんです。だから、尊敬しているんですぅ」と口ずさんでいたが、とてもではないがそれは言葉にはならなかった。
それはともかく、山口県知事の村岡嗣政氏にお目にかかった時に、またしても長州スピリッツという言葉に突き当たった。村岡氏は、東京大学経済学部を出て、自治省、総務省などで大活躍され、当選回数3回にわたり圧倒的に強い知事として知られている。
「山口県は、総理大臣を最も多く輩出したことで知られている。初代の伊藤博文にはじまり、最近では安倍晋三氏などが有名だ。何ゆえに山口から多く総理大臣が出るのかとよく聞かれるが、山口県民の特徴として、地域を大切にするとともに、常に天下国家のことを考える気風がある。これぞ長州スピリッツというものである」(村岡知事)
ちなみに、長州における幕末の英雄たちは数多いが、一番人気は何と言っても高杉晋作である。それゆえに、山口で生まれた子供たちの名前は、晋作の晋という一字をとることが数多い。安倍晋三氏もまた、晋の一字をとって命名されたのである。
それにしても、安倍晋三氏はまさに長州スピリッツをもつ男であり、2012年12月に首相として再登場し日本再生を打ち上げ、いうところのアベノミクスでデフレ傾向を抑制して日本経済を立て直した。今でも忘れないのが2019年、大阪でのG20金融サミットで両脇に米国大統領トランプ氏、中国の国家主席の習近平氏を並べて議長席に座った安倍晋三氏が、まさに日本の外交の強さを世界に大きく印象づけたことである。
筆者も数年前に安倍氏が主催する「桜を見る会」に招待されて近くでお話を伺ったことがある。そしてまた、7月中旬に日本経営開発協会が主催する帝国ホテルでの講演会で安倍氏とご一緒させていただく予定があったのである。いわれのない凶弾に倒れ、再びお目にかかる機会を逸してただただ残念としか言いようがない。深くご冥福をお祈り申し上げる次第である。
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泉谷 渉(いずみや わたる)略歴
神奈川県横浜市出身。中央大学法学部政治学科卒業。35年以上にわたって第一線を走ってきた国内最古参の半導体記者であり、現在は産業タイムズ社 取締役 会長。著書には『自動車世界戦争』、『日・米・中IoT最終戦争』(以上、東洋経済新報社)、『伝説 ソニーの半導体』、『日本半導体産業 激動の21年史 2000年~2020年』、『君はニッポン100年企業の底力を見たか!!』(産業タイムズ社)など27冊がある。一般社団法人日本電子デバイス産業協会 理事 副会長。全国各地を講演と取材で飛びまわる毎日が続く。