「たった一度の幸せが 儚く消えたネオン街 忘れられない面影を 月に写した湯の宿よ 熱海の夜」
これは箱崎晋一郎という歌手が歌った「熱海の夜」という歌謡曲の歌詞の一節である。何とも、もの悲しい歌であるが、筆者は時々この歌を口ずさみ、物思いにふけってしまうのである。
熱海は1950年代~1960年代にかけて全盛を迎えた温泉街である。海外旅行などは夢のまた夢という時代にあって、新婚旅行ラッシュのところであった。首都圏から近いという好立地もあって、家族旅行に出かける人たちも多かった。筆者もまた父母に連れられ、また親戚の人たちもみな集まって熱海の大宴会となったのだ。
すさまじい数の社員旅行にも熱海は多く使われていた。熱海芸者も名物であり、三味線と小唄が聞こえてくるにぎやかしい街でもあった。ちなみに熱海芸者は今も現存している。子どもの頃に「キングコング対ゴジラ」という東宝映画(これは今のゴジラvsコングの前作)を観ていて、この2大怪獣が熱海城を壊してしまった時には「何してやがるんだ!」と叫んだことを覚えている。
それはともかく、JPCA(日本電子回路工業会)の研修会はここ数年、熱海で開催されている。筆者も毎年のように呼ばれて、2時間近い講演をやらせていただいている。場所は後楽園ホテルであるが、まるでハワイのような空間、そして夜景が素晴らしい。近時、熱海の凋落ぶりはすさまじく、バブルの象徴ともいわれたホテルニューアカオが先ごろクローズしてしまったが、後楽園ホテルはいまだにピカ一の存在としてファンがついているようだ。
昨今の半導体産業の超爆裂成長に併行するようにして、電子回路の世界も今は絶好調である。半導体チップが伸びれば、それを実装するプリント基板/パッケージ基板が伸びていくのは当然のことなのだ。それゆえに、今年のJPCAの熱海の研修会に出た人たちの顔はみな一様に明るかった。威勢のいい言葉が飛び交い、あちこちで大笑いが巻き起こっていた。
パッケージ基板の分野も、超活況にある。業界の状況をひとあたりヒアリングしたが、何とイビデンの22年度の設備投資は2000億円を超えてくるという。サプライズとしかいいようがない。前工程の工場設備投資に匹敵するような大型投資がパッケージや実装基板の分野で出てくるとは前代未聞のことだ。新光電気もまた来年度2000億円前後の投資を予定するというのだから、これは只事ではない。
講演が終わり、熱海芸者の腕を磨いた芸を見せていただき、酔いざましに熱海の海岸を歩いてみた。箱崎晋一郎の歌ったようなネオン街はひどくシュリンクしており、そこにはもの悲しい夜景が拡がっていた。打ち寄せる波の音はひどくさびしかった。
高度経済成長の小さな縮図であった熱海の街は今の日本を象徴しているようだ。世界恐慌ともいうべきリーマンショックから先進諸国がみな立ちなおってきた。中国、台湾を筆頭にアジアの拡大が続く中で、日本は一人残されてしまった。今の日本の平均賃金は年収450万円くらいというありさまであり、韓国にも大差をつけられてしまった。
GDP世界3位の大国という看板が泣いている。経済の伸びは鈍く、労働者の待遇は悪く、ひたすらに元気のない国となってしまった。物価も上がらないから、とにかく売り上げが伸びない。半導体の世界シェアは全盛の1989年の53%に比べて、約1/7の8.3%まで落ちてしまった。
出口の見えない日本の人たちが泣いている。熱海の街もまた泣いている。唯一の救いはこの状況下で2回目の東京オリンピックを見事やってのけたことだ。団結心は失われていない。チーム力も、民度の高さも残っている。半導体においても、「起死回生の逆転」をかけて異次元の国家支援策が始まろうとしている。ここで巻き返さないことにはもう次がないのだ。大量資金の投入と画期的な半導体開発がどうしても必要条件となってきた。
「熱海の夜」を口ずさみながら、夜の海を見つめていたら、自分の卒業した小学校の先輩である作家山本周五郎の寄せ書きの言葉が今よみがえってきた。
「泣き言はいわない。」
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泉谷 渉(いずみや わたる)略歴
神奈川県横浜市出身。中央大学法学部政治学科卒業。35年以上にわたって第一線を走ってきた国内最古参の半導体記者であり、現在は産業タイムズ社 取締役 会長。著書には『自動車世界戦争』、『日・米・中IoT最終戦争』(以上、東洋経済新報社)、『伝説 ソニーの半導体』、『日本半導体産業 激動の21年史 2000年~2020年』、『君はニッポン100年企業の底力を見たか!!』(産業タイムズ社)など27冊がある。一般社団法人日本電子デバイス産業協会 理事 副会長。全国各地を講演と取材で飛びまわる毎日が続く。