商業施設新聞
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No.420

やんなっちゃう


古沢 大輔

2013/8/6

 自分では、それほど店のサービスにうるさい方ではないと思っている。むしろ、一緒にいる人が店員の態度に慷慨しているのを真横に見て、やはり私も本来ならかくほど厳しい目で店を見定め、当然客が享受すべきところの利益をきちんと求めなければならないのだろう、と反省している。それを断固、実行に移せるかは、はなはだ自信がないけれども。

 そんな私だが、最近になって立て続けに「さすがにこれは、ちょっとなあ」と思うような対応に出くわした。いずれもたいへん細かいことなので、聞く人によっては、寛大な心でもってやりすごせば良いではないか、と思う方もおられるかもしれず、多少恥ずかしい。自分でも、いくらかは歳をとって怒りっぽくなったのかしら、と不安になりもしたが、思い返すと、それらは約束されたサービスを与えられなかったというよりも、予想もしなかった出来事に奇妙、奇異を感じて驚いた、という方があたる出来事だった。それなので怒ったのではなく呆れたというのが、その時の気持ちを正しく表しているように思う。

 あるGMSでのこと。平日の午後6時過ぎの、男性用衣料品売り場だった。週末を除けば、この時間帯のこの売り場には気だるい雰囲気が漂う。整然と什器が並ぶ売り場は夕暮れ時の森のようだ。人影は木の間がくれにちらほらとしか見えない。今にも、夕日が斜めに差し、烏の声がし、山肌をなでて涼やかな風が吹き渡ってきそうな気がする。

 そんな売り場で、私は男性用下着2点とシャツを手にとり、会計に向かった。レジ係の中年女性は軽くお辞儀をし、商品のコードを読み取り、金額を言った。「ありがとうございました」。袋を受け取り、レジを後にする。そこからわずか3歩行くか、行かないかで、先ほどの女性の声がした。

 「ああ、やんなっちゃう」。

 瞬時、私は5分前からの自らの行動を記憶の中で辿った。何か礼を欠くようなことをしていないか。身なりや態度で、不快に感じさせなかったか。仕事に疲れて、少し不機嫌な顔をしていたかもしれない、表情は緩めたつもりだったけれども――。

 ちらと見ると、当の彼女はカウンター内で、他の店員と談笑している。十中八九、自分のことではないとは、もちろん初めからわかっている。それでも、よもやということがあるから、念には念を入れて考えてしまう。ほっとはしたが、その無用の行為に、何だかくたびれてしまった。

愛用の財布と、折れた5000円札(イメージ)
愛用の財布と、折れた5000円札(イメージ)
 また最近、祝い事でとある行き慣れない高級スパに行った折にもびっくりしたことがあった。
 この時もやはり、レジカウンターでの会計中だった。スタッフが釣りのお札を出そうとして、その手を腰の上あたりで慌てて引っ込めた。そのブレーキ具合があまりに急だったので、私の視線はいやでもそちらへ注がれた。すると、その人は出しかけたきれいなぴん札を大事そうにしまい、ドロワーから新たに取り出した別の5000円札をこちらに差し出したのである。
 (まさか、そんなわけはないだろう)と、半ば願いを込めるようにして、目線を落として紙幣を見た。そこには、透かしの樋口一葉女史の顔を左右に割る折れ目がちゃんと入っていた。
 私は黙って、愛用の折れ財布にその札をしまった。

 今年は、前半からこんな不可思議な出来事が、他にもいくつか続いたのである。その一方で、真心のこもったサービスに感動したこともあり、今回はその双方を併記したかったのだが、スペースと、締切時間の都合上、別の機会にする。
 しかし、こう書き連ねて中途に終わると、この稿は単に自分の風采の上がらぬことを自ら証拠立てただけのようだ。まったく、「やんなっちゃう」である。
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