この夏は、「東京オリンピックの夏」にする、と数年前から決めていた。何しろ超激動の半導体業界にあって、40年にわたる記者生活を続けてきており、新婚旅行を除いては1週間以上の休暇などほぼ取ったことがない。そこで会社にお願いをして、リフレッシュ休暇をいただくことになった。
東京オリンピック2020のSHOPにおいても
女性キャラの「ソメイティ」が光っていた
なんと朝から晩まで東京オリンピックのテレビ観戦、そしてメダルを獲るたびに自宅で乾杯という日々を過ごしたのであった。「酒とバラの日々」ならぬ「オリンピックと酒の日々」はどのような海外旅行よりも素晴らしい感動の時間であったのだ。
それにしても、今回の日本勢の金メダルラッシュには参った。そして何よりも、女性たちの活躍には心底うならされた。正直言って、最後の最後で踏ん張りがきかず、メダルを逃していく男性のアスリートたちに比べて、女性アスリートの執念は半端なものではなかった。
とりわけ驚き、かつ泣かされたのは、女子バスケットボールの決勝進出であった。何しろ世界ランキングではずっと下位の方にいるニッポンが、あり得ないことにフランスを破って決勝まで進んだのだ。その瞬間には、さすがに「あり得ないわ」と叫んでしまった。さすがに最強王者の米国には勝てなかった。しかして15点差まで追いついての負けであった。
何かと日本の批判ばかりをしている韓国メディアも、「バスケ女子日本代表の銀メダルは単純な奇跡ではない」と述べていた。大会6連覇中の米国に勝てるはずもないのに、ひたすら挑戦し続けた。平均身長176cmの日本チームは10cmも大きい米国を相手に、多彩な戦術と組織力で最後まで苦しめた。それもエースの渡嘉敷来夢が怪我のため欠場していたにもかかわらず、チーム力を発揮して頑張った。
この時に、それは20年以上前のことであるが、まだ日本が半導体産業のシェアを二十数%持っていた時のあるセミナーでの発言を思い出した。産業タイムズ社が主催する半導体の技術セミナーであったが、1980年代後半に半導体の世界チャンピオンであったNECの若手エンジニアが、事もなげにこう言ったのだ。
「もう韓国サムスンには勝てないと思いますよ。僕たちは2番手でいいから、と本気で思っています。まあ、そこそこの売り上げを上げれば、それでいいんじゃないですか」
筆者はこの時司会をしていたが、頭の中がぶち切れそうであった。そんなことを言っているから負けるんだ、と思えてならなかった。韓国サムスンが強大化していくならば、何としても勝つという戦術/戦略をなぜ編み出さないのか。技術力で勝つ方法論を死に物狂いで探さないのか。この時に、もうすでに日本の半導体における凋落は始まっていたのである。
57年前の東京オリンピックにおける女子バレーボールの金メダル獲得は、史上最高の視聴率を叩き出し、世界のメディアは日本の選手たちを東洋の魔女と褒めたたえた。今回の女子バスケチームは、まさに新・東洋の魔女であったのだ。
IT革命のことをイット革命と言った森元首相は、女性差別発言をしてオリンピックの組織委員長から降任した。いまだに残る日本の女性差別に対して、このオリンピックにおける女性たちの活躍は、何かを象徴し、また何かを突き付けるものであった。
女子レスリングにおいては、なんと4つの金メダルを獲得するという快挙であった。しかもそのうち2つのメダルは、姉妹で涙の金メダルというサプライズなのだ。筆者はキンキンに冷えたビールを一気飲みしながら「これは全くスポーツ漫画の世界なのよね。現実にあるのかよ」などと選手たちの汗をよそに、寝転びながらこれを観ていた。
大ベテランの水谷選手と女性のエースである伊藤選手のコンビは、史上初めて中国を破って卓球の混合ダブルスで金メダルを獲得した。ここにも女性力の強さがあった。女子ソフトボールの上野選手は39歳にして13年ぶりの金メダルを獲得したが、この忍耐力には恐れ入った。ボクシング女子フェザー級では、鳥取県出身の天然娘の入江聖奈さんが女性として、初の金メダル獲得という離れ業をやってのけた。
「ああ、これからはやっぱり女性の時代なのね」と感動しながらも、ため息をつき、筆者は今後、女性たちを礼賛することはあっても、一切見下すような発言はしない、と心に決めたのであった。
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泉谷 渉(いずみや わたる)略歴
神奈川県横浜市出身。中央大学法学部政治学科卒業。35年以上にわたって第一線を走ってきた国内最古参の半導体記者であり、現在は産業タイムズ社 取締役 会長。著書には『自動車世界戦争』、『日・米・中IoT最終戦争』(以上、東洋経済新報社)、『伝説 ソニーの半導体』、『日本半導体産業 激動の21年史 2000年~2020年』、『君はニッポン100年企業の底力を見たか!!』(産業タイムズ社)など27冊がある。一般社団法人日本電子デバイス産業協会 理事 副会長。全国各地を講演と取材で飛びまわる毎日が続く。