琵琶湖の夕暮れほど美しいものはない。ましてやホテルの高層階からそのきらめく湖面と比叡山の影を眺めていれば、誰でも昔の大和人にかえり、和歌のひとつも口ずさむことになるだろう。筆者も幾度となく琵琶湖の夕暮れを体験しているが、7月18日に行われたエレクトロニクス実装学会の夕べのレセプションでは、ついに和歌は浮かばなかったのだ。何しろ、これ以上はないと思われるロマンティックな風景を見つめて談笑しているのは、ほとんどがむさくるしい男どもであり、その汗の臭いにむせ返ることがあっても、風雅な気持ちになることは難しかった。
さて、この関西ワークショップのナイトセッションにおける講演会は筆者も参加し、5人の発題者によって行われたが、これが超面白かった。とりわけ京都大学教授の田畑修氏の「MEMSビジネス活性化戦略」は、ニッポンのMEMSが全然バラ色でない、という視点に貫かれ、実に参考になったのだ。田畑教授は、MEMSという言葉が実際に使われるようになった1987年より前にMEMSの研究を開始しており、いわばこの分野におけるパイオニアなのだ。
「2011年におけるMEMSファンドリーを見れば、STマイクロが2億4400万ドルでひとり勝ちとなっている。一応2番手にソニーはいるものの、たったの4900万ドルしかない。日本勢ではこのほかにオリンパスがいるだけであり、こちらは600万ドルと情けないほどの金額だ」(田畑教授)
ちなみに、MEMS全体の販売ランキングという点で言えば、テキサス・インスツルメンツとヒューレット・パッカードが首位争いをしており、これをSTマイクロやボッシュが追いかけるという展開になっている。日本メーカーは世界のベスト15の中に4社が入っている。すなわち、6位がパナソニックであり、7位がキヤノン、9位にセイコーエプソンがおり、次いで13位にデンソーという顔ぶれになっている。
田畑教授によれば、ここに来て注目されるのは米国の動向であり、とりわけMEMSの3次元加工に急速にフィードバックしているという。ひとつには軍がこの技術に注目し、戦場で機器が壊れたときに即直す、という速効性を重視しているのだ。また同時にシェールガス革命によるアメリカ製造業復活による影響で、MEMSにもう一度目を向ける気運が生じていることも重要なのだ。
「MEMSの市場は2017年には250億ドルが予想され、2011年から年率13%で伸びるとされている。しかして、実際のところMEMSを大きく伸ばす新アプリは見えないのだ。確かに、ここに来てケータイやスマホに採用が進んでいるが、これがサチってしまえば、次の大きなステージがない。今のところ、期待を集めているのは医療/ヘルスケアに使うチップの技術くらいだろう」
とりわけ、日本勢については、ボリュームゾーンとなるキラーアプリは全く見つけることができないという。MEMSにおける産学連携も決してうまくいっていない。何しろ日本の文科省は「大学のMEMS設備を使って企業向けに量産することはまかりならん」といっているのだ。もちろん米国をはじめとする諸外国ではこれをやっている。ここでもまたもや世界の常識が日本の常識にならない。
おまけに、MEMSにおける産学連携は教育の見地も取り入れてやれ、などといっている。学生の教育もやりながら先端の研究も同時にやれという、めちゃくちゃな文科省の論理なのだ。これでは勝てるわけがない。MEMS草創期からの歴史を良く知る田畑教授は、さらに日本勢の弱点について次のようにコメントするのだ。
「大体が日本のMEMSファンドリーはコストが高すぎる。今の価格の10分の1でやるファンドリーが必要だ。日本のMEMS企業を束ねるプロジェクトを立てればよいのに、国は何もしない」
琵琶湖の夜はとってもロマンティックなのに、ニッポンのMEMSには何にもロマンがないのね、と思いながら話を聞いていた。そしてようやく、大和人のように次のような一句が浮かび、小さくつぶやいてみた。
「たわむれに MEMSを背負い そのあまり 日本の弱さに 泣きじゃくるわれ」
そのつぶやきを聞いていた隣のある大学の先生は、「それは万葉調ではなく啄木調だ。琵琶湖にふさわしくない。しかもあまりの下手さに言葉も出ねー」といわれ、首をうなだれてしまった。
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泉谷 渉(いずみや わたる)略歴
神奈川県横浜市出身。中央大学法学部政治学科卒業。30年以上にわたって第一線を走ってきた国内最古参の半導体記者であり、現在は産業タイムズ社社長。著書には『半導体業界ハンドブック』、『素材は国家なり』(長谷川慶太郎との共著)、『ニッポンの環境エネルギー力』(以上、東洋経済新報社)、『これが半導体の全貌だ』(かんき出版)、『心から感動する会社』(亜紀書房)など19冊がある。日本半導体ベンチャー協会会長。全国各地を講演と取材で飛びまわる毎日が続く。