電子デバイス産業新聞(旧半導体産業新聞)
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第443回

1964東京オリンピックは「平和の祭典」の精神が貫かれた大会


アマチュア精神守り抜くIOCブランデージ会長はご立派だった

2021/7/30

 1964(昭和39)年10月10日午後2時57分、「世界は1つ」の悲願を込めて、平和の祭典としての東京オリンピックが開催された。この第18回大会は、当時としては史上最大の参加国94、7,500人のアスリートが集まったのである。戦前に計画されていた東京オリンピックは様々な国際事情で見送られた経緯があり、日本の東京での開催は当時の国民たちにとって様々な思いが胸に迫る大会であった。

 我が国日本は太平洋戦争の初期において、勝って勝って勝ちまくるという勢いであった。アジア全土の3分の2は日本が事実上支配するという状況であったが、結果的にはドイツとイタリアが降伏したことにより、たった一国で世界を敵に回すという戦いとなり、無残なまでの敗戦となった。真珠湾攻撃で米国連合艦隊のほぼ半分を壊滅させ、2年間も動きが取れないという情勢にまで追い込んだ。しかして、世界最強のゼロ戦、戦艦大和をもってしても、勝つことはできなった。300万人が死亡し、日本列島は焼け野原となり、国の復興はおぼつかないという戦後を迎えるのである。

 死に物狂いで内地に帰って来た軍人、兵隊たちは戦争で負けたことをバネにして、それこそ鬼のように働いた。食べるものはなくても、着るものはなくても、祖国ニッポンをもう一度復興させることが国民的合言葉となっていたのだ。終戦直後に銀シャリと呼ばれたコメを食べることもなかなか難しいなかで、湯川博士は日本初のノーベル賞受賞に輝き、ソニーは世界初のトランジスタラジオの量産で米欧にショックを与え、プロレスの力道山は米国のシャープ兄弟を空手チョップで滅多打ちにした。米国に叩きのめされた日本人の多くが、力道山に拍手を送ったのは戦争に負けた腹いせでもあったのだろう。

東京五輪開会式での日本選手団の入場行進=1964年10月10日、東京・国立競技場で(提供:朝日新聞社)
東京五輪開会式での日本選手団の入場行進=1964年10月10日、
東京・国立競技場で
(提供:朝日新聞社)
 それはともかく、戦後19年を経て、ミラクルともいうべき経済復興を成し遂げたニッポンは、ようやくにしてオリンピックを開催することができた。1964年の東京オリンピックはもう一度日本が世界ステージに帰ってきたことを意味する祭典であった。古関裕而氏の作曲による名曲『東京オリンピックマーチ』が流れるなかで、天皇が開会宣言をすると、東京の空に万雷の歓呼の声が沸き上がった。

 筆者はこの東京オリンピックを、子どもではあったが、リアルタイムで観た。開会式はまさに感動的であった。特に覚えているのは、天皇の声ではない。それは、当時のIOC会長であったブランデージ氏の挨拶であった。彼はかたくななまでにアマチュア精神を守り抜く人であった。米ソの冷戦、つまりは自由主義陣営と共産主義陣営が激突している状況下で、右にも左にも揺られることなくオリンピック精神を守ってきた。

 政治の介入については強く跳ね返し、現在のようなコマーシャリズムも否定した。アマチュアによるアマチュアのためのオリンピックで世界は1つになる、という平和主義者でもあった。

 57年ぶりに開催される東京オリンピックは、正にスポンサー集めに躍起となる商業化の極みともいうべきオリンピックに変貌していた。現IOC会長のバッハ氏は、金ばかりのオヤジと揶揄され、世界的にも不人気な人である。しかしながら、クーベルタン男爵から引き継がれた平和の祭典の精神は、ブランデージ氏にもバッハ氏にもしっかりと残っている。国家間が武力で衝突することなく、スポーツにおける戦いを通して平和を守るというオリンピック精神は死んではいない。

 第二次世界大戦以来、多くの年月が流れたが、第三次世界大戦は勃発していない。米中貿易戦争などの経済的なバトルはあっても、人と人が殺しあうという武力戦争だけは絶対に避けたいという世界的な合意がある。それを象徴するのがオリンピックであることを、もう一度強く認識したいものだ。
(「企業100年計画ニュース」から転載)


泉谷 渉(いずみや わたる)略歴
神奈川県横浜市出身。中央大学法学部政治学科卒業。35年以上にわたって第一線を走ってきた国内最古参の半導体記者であり、現在は産業タイムズ社 取締役 会長。著書には『自動車世界戦争』、『日・米・中IoT最終戦争』(以上、東洋経済新報社)、『伝説 ソニーの半導体』、『日本半導体産業 激動の21年史 2000年~2020年』、『君はニッポン100年企業の底力を見たか!!』(産業タイムズ社)など27冊がある。一般社団法人日本電子デバイス産業協会 理事 副会長。全国各地を講演と取材で飛びまわる毎日が続く。
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