(株)ジャパンセミコンダクター(岩手県北上市北工業団地6-6、Tel.0197-71-3003)は、旧岩手東芝エレクトロニクスを承継会社とする新カンパニーとして2016年4月から本格活動を開始した。北上が本社で、大分にも量産ラインを備えている。大分事業所は、かつて日本最大の半導体工場であった東芝大分を継承するものであり、いまだにその価値は高い。同社を率いる取締役社長の森重哉氏に話を伺った。
―― ご出身は。
森 新潟県南魚沼市で生まれ、県立六日町高校を出て、山形大学工学部応用化学修士課程を修了。修士論文は「燃料電池の酸素極の触媒作用」であった。
―― そして東芝に入社されますね。
森 1984年に東芝に入社し、半導体に携わることになる。最初の1年は超LSI研究所に配属、その後事業部に転じてからは天才的なプロセスエンジニアと言われた奥村勝弥氏に薫陶を受けた。東芝は当時、1MビットDRAMでぶっちぎり先行しており、まさに活力ある雰囲気であった。
―― 主にどの分野を担当されましたか。
森 スパッタリング、そしてメタル成膜のところである。この時、日本の半導体装置メーカーの大半と関係を築くことができ、ノウハウはすべて学んだと言ってよい。その後、IBMと東芝のJV会社(ドミニオンセミコンダクタ)に4年間出向し、米国で課長職になる。帰国後SELETEにも2年間出向し、300mmウエハープロセスの開発と装置評価を行った。帰任後300mmウエハーを新杉田で開発し、大分で量産ラインを立ち上げる時、このリーダーとなった。14~15年にかけて第21代の大分工場長に就任し、16年にジャパンセミコンダクターの初代社長になった。
―― ジャパンセミコンの現在の陣容は。
森 正社員・嘱託は、岩手約800人、大分約1300人、合計約2100人、派遣を含めて約2300人という体制だ。設立以降の新卒採用は、女性比率30%と製造中心の会社としては高く、女性も製造現場で活躍してもらっている。20年に東芝大分50周年を祝うことになった。ジャパンセミコンダクターではアナログIC、MCU、制御IC、パワーディスクリート、さらにはファンドリーなども手がけている。
―― 生産能力について。
森 200mmウエハーは工数にもよるが月産約8万枚(岩手約3万2000枚、大分約4万8000枚)であり、現在はフル稼働の状況。なお、大分には150mmウエハーのラインもある。200mmについては、60%がアナログ系、マイコン、ロジック系であり、その他がファンドリー、ディスクリートとなっている。カスタマイズな合わせ込みに強いところが特徴だ。デザインルールは90~400nmまで幅広い。
―― ファンドリーを強化する方針を打ち出していますね。
森 市場の成長が見込まれるアナログIC、モーター制御ドライバーICなど、技術的優位性が高い注力分野へ経営資源を集中させている。5年前は9割以上が東芝向けだったが、現状は約7割が東芝向けであり、事業の裾野が広がってきた。今後もファウンドリー事業の拡大に注力する。
―― IoT生産方式については。
森 どこの半導体工場においても人が採れなくなっている。搬送システムを中心に、ロボットをさらに増やしていきたい。そしてまた、検査工程の充実も図っていきたい。フレキシブルに対応できる製造ラインの構築が最も重要であり、そのためにはやはり丁寧な人材育成が重要だろう。
―― 森社長は大分県LSIクラスター形成推進会議の会長の任にもあります。
森 大分LSIクラスターの会員は104企業となっており、05年の創立から数えて16年目に突入した。このクラスターのスローガンは「世界の情報を大分へ、大分の企業を世界へ!」というものだ。グローバルイノベーション部会では、世界をリードする新ビジネスの創出、技術面からの企業育成を図っている。グローバルマーケティング部会では、世界の顧客ニーズのリサーチ、ニューマーケットへの展開に注力している。グローバルネットワーク部会では、世界的シェアを持つ経営者作り、トップレベルの情報提供、ネットワーク作りを進めている。単一の県でこれだけのLSIクラスターを形成している例はあまりないだろう。隣接する熊本県との連携も図り、九州半導体・エレクトロニクスイノベーション協議会(SIIQ)とも協力して、さらなる拡大を図っていきたい。
(聞き手・特別編集委員 泉谷渉)
(本紙2021年6月24日号1面 掲載)