韓国の南東部に位置する慶尚北道が、世界文化遺産(世界遺産)の追加登録を進めている。慶尚北道は慶州をはじめ、仏国寺や石窟庵などすでに道内7カ所の世界文化遺産を持つが、今回は新たに伽耶時代(紀元前1世紀~紀元6世紀)の600年間強、韓国の南東部における強力な鉄器文化を誇った王国である伽耶(カヤ)を対象として、2022年をめどに登録を目指している。
伽耶は「日本の古墳時代に大きな影響を与えたとされるものの、当時の状況が確認できる文献はほぼ存在していない」(慶尚北道)と説明する。当時、伽耶は朝鮮半島で高句麗や百済、新羅とともに4国時代を築いたが、結局、新羅により統一される。「この際に伽耶は新羅に徹底抗戦した挙句、新羅に当時の社会、文化などすべてが破壊され滅亡した」(高霊郡)という。
慶尚北道道庁を訪れたソウル外信記者団、
後ろには16年に移転した立派な道庁建物が聳える
筆者は先日、李●(※吉が2つ)雨(イ・チョル)慶尚北道道知事の招待で、ソウル外信記者団とともに慶尚北道道庁と英陽郡、高霊郡を訪れた。道庁は従来大邱にあったが、16年に紆余曲折の末、安東市エリアに新築移転している。李道知事は「世界的な文化遺産を多く保存する慶尚北道は、伽耶の世界遺産登録に向けて総力戦で取り組んでいる」という。
伽耶史の始まりは、金海狗邪国の建国時期とみるのが一般的で、この時期は紀元前後であろう。狗邪国が建国された「紀元1~3世紀の伽耶地域の歴史は、韓国の歴史書には残っていないため、中国の正史である『三国志』に中国人の観点で書かれた記録が残っている」(高霊郡古墳群解説者)と解説する。
古代日韓交流の中心となる王国であった伽耶は、朝鮮半島南部地域に馬韓、辰韓、弁韓など多数の小国からなる連盟体で構成されていた。馬韓は今の全羅道と忠清道一帯、辰韓は慶尚北道一帯、弁韓は慶尚南道一帯に位置したと推定されている。三国志の記録を精査すると、辰韓・弁韓は合わせて24カ国があり、全部で4万~5万軒の家があったという記録をみると、おおよそ小国1つに2000軒程度と推測されている。こうした連盟体を統合して、韓国考古学界では大伽耶と呼ぶ。
高霊郡に位置する大伽耶古墳展示館、
入り口の両側は想像上の生物とされる狛犬が守っている
大伽耶と新羅は、弁韓と辰韓がその母体であった。弁韓と辰韓は地理的な位置や種族系統でみると、実によく似た面を持っている。だが、政治的かつ社会的に発展していくなかで、両国の文化は明確な差を見せた。新羅文化は慶州を中心地とした統一した様相を見せる傾向を持つ反面、洛東江以東の大伽耶文化は政治的な中心地域が何カ所かに分かれたが、金海、咸安、高霊などの有力な拠点地域を中心に、新羅文化とは異なる地域性の強い文化が形成・定着されていたのであった。このように大伽耶文化が独自性と地域性に満ちた理由には地理的な条件も加わるものの、結局、政治的に統合されることができなかったことが新羅によって滅びる一因でもあった。
郭龍煥(カク・ヨンファン)高霊郡郡守(日本の町長)は「世界遺産登録のために、高霊や金海など7つの郡が連帯して推し進めている」「現在発見された古墳群は700基強であり、一説では大伽耶の古墳は1万基にも達する」とし、「大伽耶の世界遺産登録は、慶尚北道だけではなく、全羅道や忠清道、さらには韓国文化遺産を世界に伝播する契機になってほしい」と意気込む。
慶尚北道の大伽耶に対する世界遺産登録の取り組みは、コロナ禍に苦しむ韓国国民にも少なくない刺激を与えている。慶尚北道は韓国では初めて、新型コロナの防疫緩和を実施している。各郡邑面民に対して自由な集まりとイベント開催を許すなど、防疫模範地域と称されている。
「2022年に大伽耶の世界遺産登録が成功することで、慶尚北道のポストコロナの政策に外国人観光客のさらなる関心を寄せられるよう、多方面の努力を傾注したい」と李道知事は目を細めた。