思えば、いつも2番ばかりの人生であった。小学校の頃には、どの学年にあっても、どのクラスにあっても、いつも1番は取れなかった。必ず筆者の前には小憎らしい1番の奴が君臨していたのである。これゆえに、オリンピックを見ていても、惜しくも負けた銀メダルの選手のほうに目が行ってしまう。競馬観戦の折にも2着に敗れた馬の悲しそうな目にひたすら惹かれてしまう。
産業界にあっても、常にNo.2という存在がある。誰もが知っている大手企業である日立製作所は、常にそうした戦いを繰り返してきた。同社はバリバリの100年企業であるが、どの分野においてもいつも2番手という存在なのである。ニッポン半導体が全盛を極めた80年代にあっても、ある時はNECに負け、そしてまたある時は東芝に負け、2番手に甘んじてきた。
ある日ある時に日立製作所の幹部に向かって「2番手ばかりじゃつまらないじゃないですか。何が何でも1番を取りに行く気力はないのですか?」と大変無礼な質問をぶつけてみた。
返ってきた答えには驚かされた。それは次のようなものであった。
「1番を取りに行くのではなく、常に2番にいることが重要なのだ。その位置にいれば、最先行する企業のやり方を常に観察し、彼らが失敗した製品は作らないようにすることができる。さらに言えば、3番手や4番手が追い上げてくるときに何を武器にして戦おうとしているのかがよく分かる」
これは実のところ、言いえて妙の言葉である。サプライズなことは、1番になれるのにわざとならないという戦法なのだ。日立製作所は、家電の分野においても、IT機器の分野においても、まずもって1番という製品はなかった。人目に見れば常に2番手に甘んじている会社であった。ところがどっこい、総売り上げという点で見れば、日立製作所は、常に日本の電機業界のトップを走っている。こうした日立の戦い方に対して、ある大手証券のアナリストは吐き捨てるようにこう言っていた。
「しゃらくせえ、とはこのことだ。要するに最先端の開発はやらず、リスクを取らない。1番手の会社がやる製品を常に真似する。苦労なしに、戦っている。大日立と言われるが、それは相当汚い戦略だ」
このアナリストの辛口の批評を聞いていて、いやはや本当にそうだろうか、という思いが消えなかった。2番手と簡単に言うが、常にその位置にいることは大変な苦労があるといえよう。少なくとも、先頭を走る企業とほぼ同じレベルの技術、そして量産に向けての設備投資の力がなければ2番手にはなれない。100年企業の日立は、あまり多くを語らないが、2番でいることの意味を常にかみしめて戦っていることだけは間違いない。
しかして、半導体業界で非常に有名なアナリストの1人は、日立の今後について、少しだけ冷たい視線でこう語る。
「確かに、これまで日立の最大のライバルであった東芝は、あらゆるアクシデントや不祥事なども重なって、業績も急降下し、バラバラになってしまった。いわば日立にとっては眼前の敵が消えたわけではあるが、日本の電機業界総合売り上げトップの日立は、新たな強敵を迎えることになる。それは、一気に売り上げを拡大してきたソニーである」
確かに、ソニーはこのコロナ禍にあって、信じがたいほどの成長を遂げている。巣ごもり需要によりゲーム事業はすさまじい伸びを示した。そして、ソニー・ピクチャーズが提供する『鬼滅の刃』は、日本映画史上最高の売り上げを達成している。さらに第3の柱は世界断トツのシェアを持つ半導体センサーであるCMOSイメージセンサーであり、EVブームが来ているなかで、1台あたり32発を積み込むという状況が超追い風になるのが確実なのである。
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泉谷 渉(いずみや わたる)略歴
神奈川県横浜市出身。中央大学法学部政治学科卒業。35年以上にわたって第一線を走ってきた国内最古参の半導体記者であり、現在は産業タイムズ社 社長。著書には『自動車世界戦争』、『日・米・中IoT最終戦争』、(以上、東洋経済新報社)、『これが半導体の全貌だ』(かんき出版)、『心から感動する会社』(亜紀書房)、『君はニッポン100年企業の底力を見たか!!』(産業タイムズ社)など27冊がある。一般社団法人日本電子デバイス産業協会 理事 副会長。全国各地を講演と取材で飛びまわる毎日が続く。