「1953年生まれで、鉄腕アトムを夢見て、ビー玉で遊び、駄菓子屋の20円のもんじゃ焼きで育ちました。自分で木や竹を切ってナイフで削り、弓や矢を作ったり、小さな隠れ家も作ったりしていました。はんだの匂いも大好きでした」
こう語るのは、町工場の林立する街で知られる東京・蒲田の一角に拠点を構えるデータ・テック(東京都大田区蒲田4-42-12、Tel.03-5703-7041)の田野通保社長である。若き日の田野氏は学問に明け暮れたが、どうしても「モノ」を自分で作りたい、そしてそれを自分で売りたいとの思いから、たった3人でデータ・テックを立ち上げるのだ。1983年7月のことであった。この会社に参画した友人2人は大田区に勤める役人であったが、田野氏の親しい友人であり、いわばお堅い職を捨てて明日をも分からぬベンチャーへの道を歩むことになるのだ。
1989年にいたってデータ・テックは、世界で初めてのVR用小型3軸角度センサーを開発することに成功する。これは、独自の理論に基づき加速度計、ジャイロ、GPSを活用し、動く物体の角度や位置を計測する装置であった。これを応用した車両性能計測の実験装置も作り上げた。この分野は、トヨタ、日産、ホンダ、三菱などほとんどの自動車メーカーに採用され、現在も納入は続いている。ただし、「1台800万円で納めたら、ほとんど更新がないため儲からない」と田野氏は笑うのだ。
この動く物体を計測する角度センサーの技術をさらに発展させ、1998年にはセイフティレコーダの開発・製品化に成功する。これは事故予防型の車載機器であり、「いつ、どこで、どういう運転をしたか」をつぶさに記録するのだ。記録されたデータを解析し、事故に遭いにくい運転操作を実現する方法・仕組みを持っている。ここに来て、佐川急便など多くの通運会社においてセイフティレコーダの採用は進んでいるのだ。
「佐川急便などではセイフティレコーダのおかげで事故が40%も減ったとの報告もある。最初のユーザーは保険業界であったが、なにしろ事故が減れば、保険金の支払いが少なくなるのだからすばらしいと絶賛している。おまけに、ドライバーが安全走行を心がけるため自動車の燃費も二十数%もよくなるのだ」(田野社長)
運転する側も、これを使う側も一般歩行者や他の走行車も、セイフティレコーダによってすべて利得が得られる。おまけに保険料も安くなる。いいとこ尽くしのこの製品は、初めのうちこそ口コミで広がった程度であったが、ここにきてあっという間に採用が増えてきた。大手通運会社に加え、大正製薬、スズケンなどの医薬業界、引っ越しのサカイ、JRバス、東京ガス、中部電力など、すさまじい勢いでユーザーが広がっている。また最近では、スマートフォンのセイフティ技術として使えることが分かったため、こちらでの開発も進みつつあるという。
「ある時に、運送会社のドライバーが死亡につながる大事故を起こした。業務上過失致死として逮捕され、重い刑が処せられる方向にあった。しかしながら、この車にはセイフティレコーダが積んであったのだ。ハンドル、ブレーキ、アクセルなどの動作をすべて解析する装置であるからして、ドライバーには過失がないことが証明された。泣いてこの機器のおかげだといったドライバーの涙を忘れることができない。人助けにつながる仕事をしているのだ、との実感で体が震えるほどであった」(田野社長)
現状の売り上げは12億円程度であるが、3~4年後には30億円を目指したいという。また、IPOについても長期的には検討する。ベトナム、タイ、中国などからもオファーがきており、すでに一部セイフティレコーダの搭載車が走り始めた。国内に加え、アジアに拡大し、将来は全世界での採用を夢見たい、と田野社長は力強く語るのだ。
セイフティレコーダの今後の技術的発展については、電子部品が重要なカギを握る、として田野社長は次のようにコメントするのだ。
「なんといってもCPUの性能、スピードが重要だ。正直言ってこれまでのものには満足していない。もちろんロジック半導体や画像処理半導体も重要なパーツだ。いま一番要望するのは、こうした各デバイスの電力消費を抑えてほしいということだ。バッテリーからパワーを取るだけに、省エネは今後のキーワードなのだ。ニッポン半導体の品質の良さはよく分かっている。そうであるがゆえに、省エネや使い勝手にもっと配慮をしてほしい」
この10年で「世界で初めて」を2度生み出してきた会社が蒲田にあることの意味は大きい。コスト増を嫌って海外に展開する蒲田の町工場も多くなってきており、また業績不振から事業を止めてしまう会社も激増している。モノづくりの街・蒲田の危機を救うのはデータ・テックのような「世界で初めて」にこだわる会社だろう。
ちなみに、最近のデータ・テックのキャッチコピーは「小さくてもトータルなものを」というものだ。田野社長は混沌とした時代であり、不安定な時代であるからこそ、もう一度、駄菓子屋のもんじゃ焼きのような温かさや優しさを、ものづくりの起点に据えなければならない、と取材の終わりに小さくつぶやいた。
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泉谷 渉(いずみや わたる)略歴
神奈川県横浜市出身。中央大学法学部政治学科卒業。30年以上にわたって第一線を走ってきた国内最古参の半導体記者であり、現在は産業タイムズ社社長。著書には『半導体業界ハンドブック』、『素材は国家なり』(長谷川慶太郎との共著)、『ニッポンの環境エネルギー力』(以上、東洋経済新報社)、『これが半導体の全貌だ』(かんき出版)、『心から感動する会社』(亜紀書房)など19冊がある。日本半導体ベンチャー協会会長。全国各地を講演と取材で飛びまわる毎日が続く。