「美しい花などはない。花の美しさだけがあるのだ」などと言っている著名な文芸評論家がいたことを覚えている。正月と言えば、初詣に出かける女性たちの振袖に咲いていた花模様をいつも思い浮かべてしまう。そして、艶やかに歩く女性たちはまさにこの世の花であるが、今年は彼女たちに寒椿や早咲きの梅の花が興を添えるといった風情もあまり見られないだろう。
昨年末頃には、さるところの町会議員や市会議員がコンパニオンのお酌付きの会合を開いて、大問題となっていた。コロナ対策としての自粛が政府や行政からひたすら声高に言われている中にあって、こうした行動はヒンシュクものであったのだろう。
しかしながら、筆者はこうした報道をテレビで観ていて、全く別のことを考えていた。たとえば、男ばかりのむさくるしい会合に、たった1人の女性がいるだけで、場は華やぐ。紅一点という言葉があるが、言い得て妙である。
男性たちばかりの中に1人だけ女性が混じっていることを言うのであるが、知人の女性に聞いたところ、「紅一点こそ望むところなのよ。だって男がいっぱいで嬉しい。しかも、みんながチヤホヤしてくれる」とのたまっていた。
半導体業界は、いまだにもって男社会である。そしてまた、いわゆる製造業と言われるところも男社会がまだまだ多い。力仕事となる建設現場などにおいても、汗臭い男たちの匂いが漂うばかりだ。それゆえに、女性が少しでもその中にいれば、華やぐ語らいの場になることは事実なのだ。
男ばかりの議員たちの中に、コンパニオンの女性がいることで、柔らかな空間と優しい時間が流れていくのだとしたら、それはそれなりにすばらしい。「何でもコロナだからダメ」という風潮はいかがなものであろうか。そしてまた、このコンパニオンの女性たちをキャンセルしてしまったら、彼女たちの収入はゼロになってしまうわけであり、ますます苦境に追い込まれていく女性たちの物語は増えていくばかりと思ってしまう。
コロナで自宅にいるのを強いられていることが多いために、筆者はひたすら岩波文庫の永井荷風の作品を読むことに浮世をやつしている。永井荷風は、明治、大正、昭和の花柳界の女性たちを描かせたら、天下一品なのである。芸者、女給などの生態や境遇を語るなら、荷風の右に出るものはいない。
そこで重要なことは、多くの女性たちは好んで花柳界に身を投じたわけではない。関東大震災や東京大空襲で焼け出された女の子たちは、両親もいない孤児として育つ。大黒柱の夫を失って、子供を2人抱えた若き女性は、家も焼かれ、明日を生きていく方法が見つからない。片親で生まれて、1人だけいる母親さえも不治の病にかかっており、ひたすら看病しなければならない女性がいる。こうした女性たちの中にはいたしかたなく、水商売に入るケースが多く、これはある意味で必定の理なのだ。
荷風は、社会や事件や政治が生み出したことの大きさを不幸な女性たちの姿に重ね合わせている。これは今のコンパニオンの人たちにもつながることなのである。ところが重要なことは、苦界に身を沈めた女性たちは、案外に元気なのである。そして、めそめそと泣く若い男たちとは違って、実にたくましいのである。生活していくパワーという点においては、誠にもって女性たちは強い。これに比べて男はだらしないものだ。荷風は、様々な物語を通じてこう喝破している。
室町時代に本格的な能の創始者であった世阿弥は、『秘すれば花。秘せねば花なるべからず』と書いている。隠されていることの中に花がある。本当のことがある。そして、それを暴露してしまえば、もしくは表に出してしまえば、花ではなくなってしまう。これぞ日本人の美学の最たるものであろう。
残念ながら、東京や横浜の街を闊歩する若き女性たちの中には、カバのように大きな口を開けて笑いまくり、大声で叫びまくり、太ももが見えようが胸がはだけようが、ひたすら騒ぐばかり。はてさてここに、『秘すれば花』という宝ものはあるのだろうか、と深く考え込んでしまう筆者は、もはや時代遅れの男になってしまったのかもしれない。
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泉谷 渉(いずみや わたる)略歴
神奈川県横浜市出身。中央大学法学部政治学科卒業。35年以上にわたって第一線を走ってきた国内最古参の半導体記者であり、現在は産業タイムズ社 社長。著書には『自動車世界戦争』、『日・米・中IoT最終戦争』、(以上、東洋経済新報社)、『これが半導体の全貌だ』(かんき出版)、『心から感動する会社』(亜紀書房)、『君はニッポン100年企業の底力を見たか!!』(産業タイムズ社)など27冊がある。一般社団法人日本電子デバイス産業協会 理事 副会長。全国各地を講演と取材で飛びまわる毎日が続く。