電子デバイス産業新聞(旧半導体産業新聞)
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第36回

無心で夢の中に入れば大発見につながるのだ


~ナノカーボン研究の第一人者・篠原久典氏が向かう新時代医療~

2013/3/29

 「思えば19世紀は鉄の時代であった。20世紀は半導体に代表されるようにシリコンの時代であった。しかして、21世紀はカーボンの時代がブレークする、と自分は考える」

名古屋大学大学院理学研究科長/理学部長 篠原久典氏
名古屋大学大学院理学研究科長/理学部長
 篠原久典氏
 とつとつと自分に語りかけるように、静かに言葉を紡ぎ出すその人こそ、ナノカーボン研究で一時代を築いたといわれる篠原久典氏(名古屋大学大学院理学研究科長/理学部長)である。
 篠原氏は埼玉県川越生まれ。父親は映広企画という名のプロダクションを創業し、銀河鉄道999などのプロモーターとしてその名を知られていた。なにしろ、子供の頃には正月ともなれば橋幸夫や伊藤雄之助、ダークダックスなどの錚々たる芸能人が新年挨拶に来たというほどの羽振りのよさであったという。父親から引き継いだものは何ですか、という質問に対し、篠原氏は笑いながらこう答えるのだ。

 「とにかく面白がることで生きていけることを学んだ。言い換えれば、夢の中に入ってしまえば何でも面白いわけで、どんな苦労も気にならない。子供心にも父親の背中にそれを見ていたのかもしれない」

 篠原氏は川越高校に進むが、ここは公立としては野球部の名門であり、当時4番でキャプテンであった。この名残から今でもバカがつくほどの野球狂であり、とりわけ高校野球が大好きで、愛知県大会の1回戦から見に行ってしまうというほどなのだ。
 信州大学に進み、構造相転移の研究に明け暮れ、京都大学大学院ではドクターの途中まで行った。ところが、愛知県岡崎の国立分子科学研究所で助手が急遽必要となり、師匠であった先生の一本の電話でそちらに移ることになる。ここで8年間を過ごす。ところが、これまた師匠からの一本の電話で三重大学工学部の准教授に就任してくれといわれ、「はい」と素直にうなずき、分子素材を専攻することになる。そしてこのとき、ドイツの国際会議に出かけた折にフラーレンの発見者としてノーベル賞を受賞したスモーレーの推薦によるクレッチマーの飛び入りスピーチを聞くという僥倖にめぐり合う。

 篠原氏はスモーレーの家にたびたび呼ばれるなどの親交を深めていたが、このクレッチマーの講演については何も聞かされていなかった。本来はスモーレーがフルタイムで講演するはずであったが、その時間のうち最後の10分を削ってクレッチマーに講演させたのだ。

 「この10分間のスピーチが自分の人生を変えたといってもよいだろう。ナノカーボンが大ブレークした瞬間であった。つまりは、フラーレンは実験的に発見されていたが、これを大量に作れることを証明したのがクレッチマーの講演だった。たった10分のスピーチが終わるや否や、聴講者の500人が一斉にスタンディングオベーションという状況になった。本当に鳥肌が立った」

 1990年9月12日(水)午前9時40分から50分の間の出来事であった。
 このクレッチマーの講演で打ちのめされた篠原氏は、帰国するや否や、これまでの研究をすべて捨てて、ナノカーボンの世界に突き進むことを宣言した。

 篠原氏はダイヤモンドと黒鉛しかないカーボンの世界が何千年間も進展のないなかで、フラーレンというとんでもないものが出てきたことに体が震えてしまったのだ。その後、篠原氏は太陽電池の導電性フィルムや液晶ディスプレーなどに使われるITO膜の置き換えとなるフィルム、さらにはナノカーボンを使った半導体の研究などに数々の成果を積み上げていく。金属フラーレンはとりわけ篠原氏の得意技のひとつであり、大型医療機器のMRIの造影剤を世界で初めて金属フラーレンで実現することに成功するのだ。これが1994年のことであった。

 最近ではがん治療に重粒子線や陽子線が使われることが多いが、人体にもっとも優しいのは中性子である。ホウ素クラスターを水溶化して中性子をがん細胞に当てれば容易にがんの発見ができ、かつ100%に近い確率で治すことができる。この造影剤についても篠原氏のナノカーボン研究が貢献しつつあるというのだ。

 篠原氏によれば、フラーレンやカーボンナノチューブ、炭素繊維などのナノカーボンの世界はいよいよIT、新エネルギー、メディカルなどに大ブレークの時代を迎えたという。篠原氏に若い人に対して何を大切にしろと言っていますか、と質問したところ、次のような答えが返ってきた。

 「夢の中に入ってしまえ、という一言に尽きる。一切の打算がなく、儲からなくとも無心で好きなことをしていれば苦痛がない。そのうちに風がこちらに向かって吹いてくる。ホームランを打ちたければ追い風に乗るしかないのだ。しかも大半の場合、ミラクルといわれるホームランは無心で打ったときに生まれるのだ」


泉谷 渉(いずみや わたる)略歴
神奈川県横浜市出身。中央大学法学部政治学科卒業。30年以上にわたって第一線を走ってきた国内最古参の半導体記者であり、現在は産業タイムズ社社長。著書には『半導体業界ハンドブック』、『素材は国家なり』(長谷川慶太郎との共著)、『ニッポンの環境エネルギー力』(以上、東洋経済新報社)、『これが半導体の全貌だ』(かんき出版)、『心から感動する会社』(亜紀書房)など19冊がある。日本半導体ベンチャー協会会長。全国各地を講演と取材で飛びまわる毎日が続く。
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