電子デバイス産業新聞(旧半導体産業新聞)
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第33回

「思い出は何回も繰り返し、そのたびに異なる再現性の幸せ」


~メモリー半導体は人類の発展に大きく貢献、しかし……~

2013/3/8

 誰にでも忘れられない思い出というものがある。それは甘酸っぱいものであったり、苦いものであったり、はたまた笑いころげるようなものであったりするだろう。老人は思い出の中だけに生きる。何故なら先がないからだ、としたり顔に言っている人がいたが、筆者はそれは違うと思っている。若い人たちだって思い出は大切であり、その後を生きる人生の糧になることも多いからだ。一方、老人になっても未来の夢を語り続け、再び情熱を燃やしている人も多く、そういう人を見るとチェーホフではないが「ああ、生きていかなければ。私たちは生きていかなければ」と切に思ってしまうのだ。

JR新宿駅近くの「思い出横丁」
JR新宿駅近くの「思い出横丁」
 新宿駅近くの「思い出横丁」で飲んでいると、そうした元気のよい老人に出会うことが多い。東京で屈指の繁華街である新宿のど真ん中にある「思い出横丁」は、よくもまあこんなレトロな空間が残ったものだといつも感心してしまうのだ。もっとも、レトロといえばもうひとつ、花園神社近くにゴールデン街があり、筆者は学生のころに毎日のように通いまくった時期がある。

 1970年代半ばのあの頃、ゴールデン街の飲み屋に集まる人たちといったら、訳が分からなかった。プー太郎のようなおじさんがわめきちらしていて、迷惑な奴だとその顔を見れば有名な映画監督だったりする。ああもう酔っぱらっちゃったのよ、といいながら店の外に出て路端で小用を足してしまう女優もいたりする。自称芸術家の数は無限大であり、フツーのサラリーマンもこの街に来れば、みんなが画家、哲学者、文学者、演劇人、ミュージシャンになってしまうような感覚があった。よくも悪しくも1970年代の匂いが立ち込めていた新宿ゴールデン街は、挫折した学生運動家たちの街でもあり、ニッポンにとって黄金時代となる1980年代の前夜のきらめきを持っていた街でもあった。

 大阪万博に始まる1970年代をひたすら経済成長を旗印にニッポンがひた走っていた頃、海の向こうでは時代を変えてしまう、とんでもないことが起きていた。それはインテルによる世界初のマイクロプロセッサー(MPU)の開発であり、今日のデバイス構造・製造プロセスの基礎となるプレーナ法の発見であった。このインテルのMPUなくして、IBMに始まるパーソナルコンピューター(PC)の開発・量産はなく、今日のスマートフォンまでつながるITの系譜はなかったと断言してもよいだろう。2013年の現在においても、インテルという会社の偉大さは決してほころんではいない。自らが開発したプレーナ法の次に来るものとして、3次元立体構造トランジスタを世界に先駆けて量産しているのだから、並のフロンティアスピリッツではないのだ。

 そしてまた、インテルは今日のPCのメーンメモリーであるDRAMの発明者でもあった。インテル自身は、1980年代のニッポン半導体のメモリー大量産に負けるかたちでDRAM生産からは撤退してしまったが、大容量記憶デバイスのDRAMを創出したことの勲章は決して消えないだろう。現在においてもインテルは相転移メモリー、MRAMなどの次世代メモリーの開発を着々と進めているという情報もあり、メモリー半導体を諦めているわけではない。

 メモリー半導体が人類にもたらした最大の功績とは何だろう。それは、何といっても電子回路が記憶したことを、いつでも、どこでも正確に再現し、保存できるということだろう。「一度覚えたことは何回でも繰り返しよみがえらせる」というこの「再現性」が、半導体の持つ最高価値のひとつであることは誰もが認めるところなのだ。もっともこの再現性があるがゆえに、今日において多くの人は文字を忘れ、数字を忘れ、記号を忘れ、人名を忘れ、もしかしたら「大切な思い出」すら忘れてしまうのかもしれない。しかしながら覚えていなくてもよいのだ。それはPCまたはスマホさえあれば、いつでも取り出し再現してくれるから――という考えが人間の頭の記憶作用を退化させてしまう。

 今日において多くのドライバーは、自分の頭のアナログ回路で道を覚えようとはしない。すべてはカーナビがやってくれるのだから、これも仕方のないことだろう。また、学生たちの多くは有機的につながる言葉や物事の連環性を自分の頭で考え、覚えようとは思わなくなっている。何となく、いくつかのキーワードをPCに入力すれば、ご親切にすべてを探してくれるし、余計なことまでつなげてくれ、ガイダンスまでやってのけてしまう。しかしながら、こうしたことを繰り返していれば、いずれは自分の頭で考えなくなってしまう恐れは充分にあるのだ。すべては電子回路のままに、という時代の恐ろしさはスタンリー・キューブリックの名作映画「2001年宇宙の旅」が見事に描き出している。

 半導体が人類の発展にもたらした効果は絶大なものがあるだろう。とりわけ、メモリー半導体は、人間が記憶しなくても、人間に代わって永遠に記憶し、何回も繰り返し再現し、多くの科学的発展に貢献してきた。そして、さらに進化を遂げ、ロジック回路と一体化し、人間以上の正確さで記憶し、やがてはひとり立ちし、人間にはむかってくるとしたら、この辺で思考回路を一回止めて、もう一度半導体の将来性について深く考えていくことにしよう!!

 ところで、若い時分にはえらく貧乏だったから、カメラを持っておらず、数年間付き合った恋人の写真が一枚もないのだ、と嘆いている知人がいる。ああ、たった一枚の写真でもあれば、あの人の素晴らしさをもう一度再現できるのに、と酒を飲むたびにグチっている。しかし、ある時に、友よ!と肩を抱きながら放った筆者の言葉に彼は眼を開き、やがて声を上げて泣き出した。筆者は酒を取り上げて、こう言ったのだ。

 「君の恋人は永遠に君の記憶の中にいるのだ。一枚の写真もないのだから。君の記憶の中でその人は何回もデフォルメされながら、美しくよみがえってくる。あの時の首をかしげた愛くるしさ。本に目を落としながら思考している横顔のキュートなかたち。君はそれを何回も繰り返し思い返すことができる。一枚の写真もないのだから。思い出すたびにその顔は違ってくる。もしかしたら、それは君にとって最高の幸せなのかもしれない」


泉谷 渉(いずみや わたる)略歴
神奈川県横浜市出身。中央大学法学部政治学科卒業。30年以上にわたって第一線を走ってきた国内最古参の半導体記者であり、現在は産業タイムズ社社長。著書には『半導体業界ハンドブック』、『素材は国家なり』(長谷川慶太郎との共著)、『ニッポンの環境エネルギー力』(以上、東洋経済新報社)、『これが半導体の全貌だ』(かんき出版)、『心から感動する会社』(亜紀書房)など19冊がある。日本半導体ベンチャー協会会長。全国各地を講演と取材で飛びまわる毎日が続く。
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