「物価2%上昇などありえないわ!」という国内外の経済界の声をよそに、アベノミクスで頭が真っ赤になっている安倍晋三首相は、とにかく突っ走っているのだ。何しろ、お得意の国家防衛戦略をふり捨ててまで最重要課題は「経済再生」といい切っているくらいだから、本気になってこの国の立て直しを図ろうとしている姿勢やよし、と一応はいっておこう。
安倍首相自らが議長をつとめるかたちでスタートした産業競争力会議の成長戦略にも多くの注目が集まっている。重点4分野は「健康」「エネルギー」「次世代インフラ」「農林水産業」であり、企業の競争力向上や技術革新を後押しする具体プランを策定していくことになる。日銀が2%の物価上昇目標を決めた以上、何が何でも成長産業を育成し、新たな研究開発投資や設備投資を巻きおこし、雇用を拡大して、我々一般国民に「もう、じゃんじゃんお金を使ってもいいのね」と思わせなければならない。
ところで、この競争力会議の重点4分野の内容を見ていた筆者の知人(もちろん半導体関係者)は、「あれえ。IT分野は1つも入ってないじゃん。それはないよね」と低い声でうなっていた。ニッポンのお家芸であった家電産業をはじめ、半導体、液晶などのITにおける日本勢の後退が続いているだけに、この巻き返しに国も一役買ってほしい、との声も多い。それだけに、今回の競争力会議の初会合にはがっかりしているIT関係者はかなりいるのだ。
しかして、筆者は、これも時代の波だと考えており、決して間違った政策ではないと各種の講演でもしゃべっている。期待を集めているスマホですら腰折れしているのだから、世界のIT産業は踊り場というよりも、ある種の成熟化を迎えたと判断するのが正しいのだ。PC、TV、ケータイの成長が止まったことを見てもそれは明らかだ。
「スマホはもはやIT機器の最終進化形。現在の技術の延長線上では、これ以上の製品開発は難しい。言い換えれば、世界の人たちは、スマホで充分に満足している。どうしても欲しい、という製品は今後なかなか出てこないだろう」
筆者の尊敬するITジャーナリストの先輩が眼を細めながら、タバコを深く吸い込み言った言葉である。それゆえに安倍政権の重点課題にITが入ってこないのは、ある意味で当然のことなのだ。IT製品は標準化が一気に進み、部品の共通化も進み、金を出して装置を買い揃えれば誰でも作れるという世界に入ってしまった。そうなれば、労働力、税金、水、電力など、どれをとってもハイコストの国ニッポンでは、世界に太刀打ちできるはずがない。また、世界全体のITの成長鈍化が見えてきた以上、そこには誰にとっても「将来を約束する黄金の果実」などあるわけもない(それにしても、IT全体はともかく、ニッポンの半導体開発力はいまだ世界の先頭を走っているのに、政府の認識は少し甘いな、という感想は持っている)。
ところで、筆者が会長を務めさせていただいている日本半導体ベンチャー協会(JASVA)においては、会員数の減少に歯止めがかからない。2000年10月に設立されたJASVAは、2005年に会員数234に拡大したが、これがピークであり、2012年9月には122となりほぼ半減した。このJASVAの会員推移に見れば、日本の電子産業がいかに衰退していったかの証左ともなるのだ。最近では、半導体関連のベンチャー起業は著しく減っており、またこの2~3年でIPO取得までいくと思われる企業は、JASVA会員の中でも3~4社くらいしか数えられない。昨年1年間で23万人がリストラされたわけだから、多くの人材が外に出てきたわけで、ベンチャー立ち上げの機運が盛り上がると期待しているが、まだその動きはのろい、といってよい。
さて、かの産業競争力会議には、10人の民間有識者が加わっている。コマツの坂根正弘会長、武田薬品工業の長谷川閑史社長、楽天の三木谷浩史社長らの錚々たるメンバーの中に、紅一点、サキコーポレーションの秋山咲恵社長が加わっている。秋山女史は京都大学出身の才媛であり、美人であることでも知られている。何よりも、わがJASVAのメンバーであり、つい先ごろまでは理事として活躍していたのだ。95年にカメラやスキャナーの走査技術をもとに、従来の2~4倍の処理速度を持つプリント基板実装工程向けの自動概観検査装置を開発し、これを武器にベンチャーを立ち上げた。2004年には、大手競合メーカーがひしめくこの市場でシェア2位(台数ベース)を獲得した。今後もオンリーワン製品の開発で世界ステージに躍り出ようとしているのだ。
かつて秋山女史にインタビューした折に、そのキラキラとした眼をいっそう輝かして、彼女はこういった。
「半導体の前工程は外国勢にかなりやられてしまった感がある。しかし、パッケージなどの後工程は、まだまだ日本の技術が世界をリードしている。また、プリント基板や実装などの世界は日本勢が技術を切り開き、世界の標準をとっているケースも多い。私たちは、この日本勢の強い分野に貢献できる画期的な製品をきっちりと作っていきたい。まだまだニッポンの出番はあるのです」
もうニッポンのITはだめだからあ、と安居酒屋でくだを巻き、そのくせ何の努力もしないオヤジたちに、この秋山女史の言葉を聞かせてあげたい。どうか、明日を夢みる名もなき日本の半導体ベンチャー企業群のために、またその声をバックに秋山女史が政府に敢然ともの申していただきたい、と切に願っている。
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泉谷 渉(いずみや わたる)略歴
神奈川県横浜市出身。中央大学法学部政治学科卒業。30年以上にわたって第一線を走ってきた国内最古参の半導体記者であり、現在は産業タイムズ社社長。著書には『半導体業界ハンドブック』、『素材は国家なり』(長谷川慶太郎との共著)、『ニッポンの環境エネルギー力』(以上、東洋経済新報社)、『これが半導体の全貌だ』(かんき出版)、『心から感動する会社』(亜紀書房)など19冊がある。日本半導体ベンチャー協会会長。全国各地を講演と取材で飛びまわる毎日が続く。