電子デバイス産業新聞(旧半導体産業新聞)
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第25回

歴史と時間だけは人類が克服できないもの


~しかして未来にかけていく夢のキラメキは無限だ~

2013/1/11

 「実際に起こらなかったこともまた歴史である」
 不世出の天才詩人、寺山修司の言葉である。彼はぶっ倒れるように芝居を打ち、ドラマや映画の脚本を書き、ついでに住居侵入の容疑で逮捕され、「覗き現行犯」呼ばわりされるという勲章も持っている。競馬が大好きなことでも知られており、ハイセイコー讃歌の中には、次のような一節も読み込んでいる。
「ふりむくな ふりむくな 後(うしろ)には夢がない」

 さて、2013年の新春を迎えたが、キリスト誕生後の2012年間にわたる歴史は、もはや動きようがないものだ。つまりは、過去は確定しているものであり、どうにも変えることができない。しかして寺山修司は、人が心の中に思いこんで実際にある行動をとらなかったとしてもそれは歴史であると、魔術師のように人の耳元にささやくのだから、どうしようもない。あの日、あの時、君が好きだったのにいえなかった思い。手を握ろうとしたが、トイレで手を洗ってこなかったことに気づき、止めてしまったあの日の夕暮れ。今日こそは初めてのキス、と意気込んで出かけたその夏の日に、あろうことか蜜蜂に唇を刺されてしまったこと。さようまことに、実際に起こらなかったこともまた、寺山のいうように歴史のひとコマかもしれない。

 さて、2012年という年は、日本の電機産業および半導体産業にとって、史上最低ともいうべき1年であった。戦後すぐの朝鮮特需の波に乗って高度成長を続けた日本にあって、電機産業はまさに花形の王道を歩んできた。高性能で高品質な家電製品は、国内に流布するだけではなく、ヨーロッパやアメリカを席巻した。半導体の世界では、パソコンやメーンフレームの心臓部分ともいうべきメモリーであるDRAMで、80年代後半にブッチギリのトップを疾走していた。そしていまや一敗地にまみれ、ゼイゼイと激しい息をついているのが、ニッポンエレクトロニクスの現状なのだ。

 「バック・トゥ・ザ・フューチャー」という古い映画があったが、タイムマシンにより時間を突き抜けて見る光景の面白さが実に際立っていた。残念ながらタイムマシンはいまだに開発されていないが、歴史を紐解けば、かなり前の出来事に遡ることができる。

 1991年(平成3年)という年は、あらゆる意味でエポックメーキングな出来事が多かった。今から22年前のこの年の1月17日、米国を中心とする多国籍軍はイラクに向けて爆撃を開始する。すなわち湾岸戦争の勃発である。ちなみに、この年の1月23日に半導体産業新聞が発刊された。湾岸戦争のニュースをラジオで聞きながら、最終校正を行っていたことを良く覚えている。1面トップ見出しは、「16MDRAMの投資活発、8インチの工場時代到来」というものであった。創刊号のトップインタビューは東芝の半導体事業本部長である江川英晴氏であった。

 91年の世界半導体市場は546億ドルであったが、驚くなかれ、日本国内半導体30社の生産額は4兆5000億円もあったのだ。簡単に言えば、世界の半導体生産の6割近くを日本が握っていたわけであり、当然のことながら米国政府は政治的圧力を加えてきた。すなわち日米半導体新協定の調印である。要するに、外国系半導体を日本市場はもっと受け入れろ、という数値目標を入れた協定であり、現在の常識でいえばほとんどありえないことであった。欧州など諸外国からはこうした2国間協定はガット違反であり、真正な自由貿易、自由主義経済に反するものだという手厳しい批判が浴びせられた。日米協定で市場最低価格を設定された日本に対し、この制約を受けずプライス面で優位性を持つ韓国勢は間隙を縫って急速にシェアを伸ばしていく。

 ところが筆者がこのころ、半導体王国ニッポンの幹部クラスに取材した折には、高らかに笑いながら彼らはこういったのだ。

 「確かに、韓国勢は脅威ではあるが、わがニッポンに勝つには20年早いぜ。がはははは」

 こうした侮りは90年代後半にいたって、完膚なきまでに叩きのめされることになる。そして2013年の今日にあって、お家芸のDRAMを失い、期待をかけたシステムLSIでも敗れ、サムスンをはじめとする韓国勢にまったく歯がたたないという現状を、22年前の国内半導体業界の人たちは想像しえたであろうか。

 「おごる平家は久しからず」とあるように、栄枯盛衰は世の常である。しかして確定してきた過去を書き換えることはできないが、これからの未来のキラメキの設計を描くことはできるのだ。22年前に遡ってその時の状況とその後のプロセスをよく頭に刻み込んで、ニッポン半導体および日本の電機産業は22年後の将来像を、きっちりと描いていかなければならない。時間だけは人類が克服できないものではあるが、未来という時間軸には無限の夢と可能性が秘められていることは間違いないのだ。

明治維新を推進した薩摩は250年を待ち続けて爆発するのだ(桜島の噴火)
明治維新を推進した薩摩は250年を
待ち続けて爆発するのだ(桜島の噴火)
 かの関が原の戦いで徳川家康に叩きのめされた毛利氏と島津氏は、このリベンジのために250年間も待ち続けた。薩長による明治維新は、250年前の屈辱を栄光に変える錬金術師の技であった。途方もない長い年月を何世代にもわたって目標を持ち続ける、ということはできうるのだ。寺山修司は最後に撮った映画の中で、次のような言葉を放っている。

 「100年たったら帰っておいで。100年たったらその意味がわかる」


泉谷 渉(いずみや わたる)略歴
神奈川県横浜市出身。中央大学法学部政治学科卒業。30年以上にわたって第一線を走ってきた国内最古参の半導体記者であり、現在は産業タイムズ社社長。著書には『半導体業界ハンドブック』、『素材は国家なり』(長谷川慶太郎との共著)、『ニッポンの環境エネルギー力』(以上、東洋経済新報社)、『これが半導体の全貌だ』(かんき出版)、『心から感動する会社』(亜紀書房)など19冊がある。日本半導体ベンチャー協会会長。全国各地を講演と取材で飛びまわる毎日が続く。
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