ハンギョレ新聞のアジアカンファレンスには
女性の次期大統領候補の
パク氏(右から2人目)も登場した
先ごろ、李明博大統領の竹島訪問で反日感情が渦巻く韓国ソウルに乗り込んだ。なにも果たし合いをしに行ったわけではない。韓国の4大新聞のひとつであるハンギョレ新聞の招きで、同社が主催するアジアカンファレンスにパネラーとして参加することを要請されたのだ。
久方ぶりに見るソウルの街は、そこかしこに紅葉も始まり美しかった。街を行く女性たちも美しかった。しかし、いつも不思議に思うのは、若い女性同士が手をつないで歩いている風景が多いことだ。「この街は禁断の愛の女性が多いのね」とソウル支局長のオム君に呼びかけたところ、バカなと笑われてしまった。韓国では仲のよい友達ならば、大人の女性であっても必ず手を握り合って歩くのが、常識だそうだ。
それはさておき、ハンギョレ新聞が主催するアジアカンファレンスは、今回で3回目を迎える。テーマとしては、習近平時代を迎える中国とアジア諸国との関係、さらには経済発展は今後どうなるのか、というものであった。300人のパネルディスカッションの会場で日本人は筆者ただ一人であり、中国の方々や韓国の方々に比較的厳しい視線を浴びながらの登壇となったのだ。
パネラーは各国の有識者を集めるということであり、ほとんどが学者であったが、ジャーナリストとしては自分ひとり。それだけでも違和感があるのに、尖閣諸島問題や竹島問題で揺れる情勢下における日本代表(筆者でよいのかと切に思う)が現れたわけであるから、かなり雰囲気はよくない。司会を務める教授からは、「あなたの場合は政治問題は一切発言しないほうがよい。経済やITについてだけ語ってください」と事前に釘を刺される有様であった。
この教授がそういうことを言うにはやはり訳がある。前日のレセプションの夕食会において、韓国のある人がワインを飲みながら、筆者に竹島問題についてどう思うかと問うてきた。筆者は無理に笑いを作りながら、日韓親善を復活させましょうね、と苦しそうにコメントした。途端に相手は声を荒げて「従軍慰安婦問題はどうなっているのだ。今すぐコメントしろ」といってきた。日本ではそんなに大きな話題になっていないのよね、とまたもあいまいな笑いを浮かべていったところ、横を向かれ、それっきり口をきいてくれなかった。なんと恐ろしいところに来てしまったのかとビビる泉谷クンであったが、ときすでに遅しであった。
ちなみにパネルディスカッションそのものは比較的穏やかに進行した。中国代表は、西洋のような市場経済、民主主義を用いずとも共産党中心のモデルで開放路線というスタイルは見事に成功した、と自画自賛のコメントを述べていた。これは世界でも画期的なビジネスモデルだ、とさえ言っていた。ただ、驚いたことは、すでに共産党とは異なる8つの政党が産声を上げていることであった。これに対し、韓国代表は、それは要するに世論をガス抜きするためのお飾りじゃないの、と冷たくいなしていた。
筆者はパソコン、液晶テレビ、携帯電話などのIT産業は、120兆円市場まで拡大したところで成熟化を迎えたことを強調した。日本においてはパナソニック、ソニーが大赤字、シャープは経営危機、エルピーダも経営破たんという状況であり、日本のITは全軍総崩れの様相を呈していると報告した。しかしながら、すでにこうしたITの主要製品は、限界成長率の70%を超えており、今後大きな成長を望めないどころか、マイナスに転じる恐れもある。そうなれば現在日本で起きていることは、韓国や台湾に飛び火する恐れがある。なんだかんだいっても、中国、韓国をはじめとするアジアは、ITの生産で伸びてきたわけだから、要注意なのだ。今後は医療、環境、次世代自動車などの新市場創出に注力したほうがよいと思う。そんな発言をしたところ、意外にも敵視の多い会場からかなりの拍手が巻き起こった。
会議全体としては、ひたすらに中国のGDPの成長率鈍化(今年は7.8%)、サムスンをはじめとする韓国メーカーの大躍進といった話題が多く、日本については、まったくといっていいほど発言が出なかった。こうしたパネルの様子を静かに見ていた、ある西洋人の中年の男が挙手し発言した。彼はこういったのだ。
「先ほどから、GDPの成長率だけが話題になっている。しかしながら、富の再分配の問題はどうなっているのか。それぞれの国の幸せ指数はどうなっているのか。GDPだけで物事は語れない」
発言者のプレートを見れば、スウェーデン代表であった。世界で最も福祉が進んでおり、貧富の差があまりない国として知られる、スウェーデンならではの質問であった。経済発展で蓄えられた富は、民衆に公平に分配されなければならない。そしてまた、幸せを測る尺度は決してお金だけではない。もっと別のところにもある。この男はそう言いたかったのだ。一瞬にして会場がシーンと静まり返った光景を、頭に刻み込んでおかなければと思った。
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泉谷 渉(いずみや わたる)略歴
神奈川県横浜市出身。中央大学法学部政治学科卒業。30年以上にわたって第一線を走ってきた国内最古参の半導体記者であり、現在は産業タイムズ社社長。著書には『半導体業界ハンドブック』、『素材は国家なり』(長谷川慶太郎との共著)、『ニッポンの環境エネルギー力』(以上、東洋経済新報社)、『これが半導体の全貌だ』(かんき出版)、『心から感動する会社』(亜紀書房)など19冊がある。日本半導体ベンチャー協会会長。全国各地を講演と取材で飛びまわる毎日が続く。