2020年5月のファーウェイ・ショック以降、中国の半導体ファウンドリー最大手であるSMICは、ファーウェイのファブレス子会社のハイシリコン(海思半導体、広東省深セン市)から14nmのアプリケーションプロセッサー(AP)をファンドリー受注しようと息巻いていたが、6月の中旬に方針転換して7月から予定していた14nm品の受託生産を急に取りやめた。7月中旬の株式上場時に投資家にネガティブな印象を与え、目標としている調達資金が集まらなくなるリスクを回避することを優先した。
また、米国とこれ以上関係を悪化させて、5nm以細のプロセスに必要となるEUV露光装置(オランダASML製)の輸入を米国に止められている状態を長引かせないようにしたいという思いがあったと考えられる。ファーウェイもまた、SMICから14nmのAP「Kirin710A」をすぐに調達しなくても、1年以上のスマートフォン生産に必要な分量の在庫を溜め込んでいるので、無理をする必要もなかった。
ファーウェイに加担するならTSMCにも圧力
5G通信技術(基地局設備や特許)で大きく出遅れた米国は、その先頭を行くファーウェイに対して徹底的に制裁を加えて、5G時代の幕開けにスタートダッシュできないようにあの手この手を駆使している。先進国に対してファーウェイ製の5G基地局設備の使用禁止を働きかけたり、グーグルのスマホアプリをファーウェイのスマホに搭載できないようにしたり、ファーウェイ製品を使っている企業には(米国企業だけでなく、日本企業でも)米国の政府調達先から排除するという制裁を課している。ファーウェイが攻撃ターゲットだった昨年の状況から、ファーウェイに加担する企業も同様に米国に敵対スタンスをとる存在と認定するという事態にまで発展した。
その被害を被ったのが、半導体の受託製造の世界トップ企業である台湾TSMCだ。TSMCは年間4兆円弱を売り上げるモンスター企業だが、実にその売上高の15%をファーウェイ(ハイシリコン)1社から受注している。米国政府の圧力により、TSMCはファーウェイからのこの年間受託額、金額にして55億ドル(約5900億円)を失うことになる。他国の政府の一存で5000億円もの業績が吹き飛ぶことになれば、企業自身や業界団体、その政府までもが一致団結して異議申し立てしそうなものだが(おそらくTSMCは水面下で必死の抵抗を試みたのであろうが)、現状では米国政府の言いなりにならざるを得ない状況になっている。
米国政府による中国IT企業制裁
日本企業でファーウェイの通信機器(ルーターなど)やハイクビジョン(海康威視数字技術)の監視カメラを使っている企業は数多くいるが、今後これらの企業は米国の税金を使った政府調達に参加禁止になる。これに該当する日本の大手企業は800社をゆうに超え、これらの企業が機器をすべて買い換えるには、9兆円弱の費用がかかるといわれている。米国のファーウェイ叩きは、もはや日本企業にとっても他人事ではなくなった。
TSMCの代替受注にSMICが浮上
米国政府によるTSMCへの間接制裁(ハイシリコンからの受託生産の禁止処分)には、4カ月の猶予期間が設けられている。業界関係者は当初、この猶予期間内に米中関係に進展が見られ、制裁が緩和される方向に進むことを期待していた。しかし、その望みは叶わないもようだ。
米中両国は関係修復の糸口を見出せないまま、5月下旬の全国人民代表大会の後さらに関係を悪化させている。TSMCの劉徳音CEOは7月中旬の株主会議で、9月14日以降もハイシリコンからの受託を受けない方針を決めたと語った。猶予期間内の根本解決はもはや望めない状況になった。
TSMCがハイシリコンからの受託を止めた製品のうち、14nmクラスの製品は中国ファンドリーのSMICが代替生産することができる。歩留まり水準はTSMCには及ばないが、SMICも生産することが可能だ。
ハイシリコンのファンドリー関係
SMICはこの14nmの技術でスマホ用APを受託しようと長年かけて取り組んできた。コロナ騒動の最中の2月にTSMCが米国から圧力を受けていることを察知したSMICは、14nm用の装置交渉に動いた。東京エレクトロンなどの大手装置メーカーは20年10~12月の搬入時期を提示したが、ファーウェイからの早期受注を実現したいSMICは少しでも早くと強く要望し、7~9月期の装置搬入で契約サインをゴリ押しした。そして、5月にファーウェイ&TSMCショックが起き、SMICが想定したとおりに事態が進行。SMICは既存ラインを使って、7月からファーウェイ向けに14nm品の出荷を始めるところまでリーチをかけた。
漁夫の利を諦めたSMIC
しかし、SMICは6月中旬、「14nm品用の材料の7月納入分はゼロでいい」と主要材料企業に連絡を入れた。この連絡を受けた材料メーカーによると、8月も持って来ないでいいことになっているという。つまり、SMICは7月の直前に急ブレーキを踏んで、今年のビッグプロジェクトだったハイシリコン向けの生産をストップしてしまったのだ。ただし、14nm対応の装置導入は当初の計画どおりに実行する。
SMICの突然の豹変ぶりにベンダー企業は困惑したが、これにはSMICの役員クラスでの方針転換があったといわれている。SMICは19年に米ニューヨーク証券取引所の株式上場を廃止し、今年は上海証券取引所の科創板(中国版ナスダックと呼ばれる新興ハイテク企業向け株式市場)での株式上場を予定していた。無理にファーウェイのサプライヤー入りして、米国政府の警戒対象企業に指定されてしまったら投資家の間にネガティブイメージが蔓延してしまう。そうなると、新規株式公開時の資金調達が順調にいかなくなると判断したのだろう。実際のところ、SMICは7月16日に無事に株式上場を果たし、取引初日に479.7億元(7358億円)の資金獲得に成功した。
SMICにとってもう1つ重要だったのが、次世代開発に必要なEUV露光機(オランダのASMLしか生産できない)をめぐる問題だ。SMICはEUV露光機の購入契約後も装置の納入が止められたままになっている。「軍事転用でき得る技術水準との判断で、これには米国の見えざる圧力が相当きいている」(装置メーカー関係者)。SMICとしては頭を低くして、米国政府に睨まれないようにしておく重要な時期だと判断したのだろう。
ファーウェイ制裁の第1弾(19年5月)では、ファーウェイは米国制裁を跳ね除けて、売上高とスマホの出荷台数で前年比20%近くの増加を達成した。この結果は米国の怒りをさらに買い、制裁第2段(20年5月)につながった。ファーウェイは必死の抵抗をして、今年もなんとか乗り越えるだろう(といっても、今年のスマホ生産に必要なAPはすべて在庫確保を完了しているが……)。21年には制裁第3弾がまた発動することになると見てよい。
ファーウェイがらみの部分では、このようにして米中デカップリングがどんどん進行していく。しかし、この図式が、米中半導体産業の全体に適用されるわけではない。中国の半導体工場のすべてが米国製の装置や材料を使えなくなるわけではないし、中国に工場進出しようという米国企業もいる。AMATの幹部自身が中国に工場を建設する可能性についてもコメントしていたりするように、米中対立の図式だけで何でも物事を決めつけるべきではない。政治と産業は大きな1つの趨勢の中にあっても、別の力学を持ってそれぞれが動こうとしていることも見落としてはならない。
電子デバイス産業新聞 上海支局長 黒政典善