2017年9月15日のことである。新利根工業団地協同組合(茨城県稲敷市中山1307)は、創業40周年記念式典を盛大に執り行った。この工業団地は、農業機械で国内トップのクボタ(本社:大阪市)の関東進出に伴い、同社の筑波工場への部品供給基地として計画されたものである。
供給体制の確立と集団化/共同化による経営基盤の強化を目的として、関連企業の中から10社が参加して協同組合を設立したのだ。現在残っているのは、筑波工業(株)、(株)STN、(株)三翠社、共和精機(株)、(株)大仙工作所、(株)エナテック、関西精機(株)、興和運送(有)の8社である。
「新利根工業団地は1977年に立ち上がったが、クボタに納入するトラクター・エンジン部品などを製作し運送に取り組む企業集団である。1社に供給する多くの部品メーカーが1つの工業団地の中に集約されるというケースは、最近ではあまり例を見ないものだ。いまや全国でも数少なくなっているかもしれない。しかして、1カ所集中の強みは、何と言っても団結力とお互いを切磋琢磨する心なのだ」
こう語るのは、新利根工業団地協同組合の理事長を務める田葉正信氏である。田葉氏は、まさにこの団地の創設以来の生き残りメンバーであり、今日に至るまでの歩みをすべて知っている人である。
自ら経営する共和精機(株)は、大阪府泉佐野で創業したが、クボタとの取引拡大に伴い、この新利根工業団地に進出した。クボタのトラクター本体で使うディーゼルエンジン部品、トラクター部品、空気圧部品、油圧部品などを製造しており、5軸加工機による加工サンプルやオブジェなどの製造にも対応している。
「この新利根工業団地に結集したメンバー企業は、それぞれ独自の製造・運送ノウハウを持ち、また独自の技術でモノづくりにチャレンジし続けている。品質を重視した機械部品のモノづくり集団として発展してきたわけであり、それぞれが活動する一方で、まるで家族のような付き合いを続けてきている」(田葉理事長)
田葉氏率いる共和精機は、関西精機、大仙工作所と同じ工場建屋の中で同居しているが、その製造現場は何の仕切りもなく、まるで1つの会社のメンバーが一緒に働いているかのような印象を与える。そしてまた、お互いに材料や部品、さらには機械などの融通もし合っており、そこには不思議な友情のような雰囲気が流れている。7つの会社が製造するものについては、必要な時に、必要な場所に、必要な量を届けるという思想の下に、興和運送がこの物流をすべて引き受けている。
新利根工業団地が立ち上がっていく頃は、ロッキード事件で政界が大揺れとなった頃であった。1977年にはクボタの廣社長が団地を視察されるのであるが、この年は巨人の王貞治選手がホームランの世界新記録(756号)を樹立した年でもあった。1979年にはクボタ筑波工場はトラクター生産台数20万台を達成するが、第2次石油ショックで経済は厳しい年であった。
時移りクボタ筑波工場の発展は目覚ましく、2014年にはトラクター生産台数200万台を達成、2017年にはエンジン生産台数500万台達成と躍進していく。これを大きく支えてきたのが、新利根工業団地という存在なのである。
「この工業団地を一回りすれば、プレス、溶接、切削加工などのカスタマイズされた生産の現場を見ることができる。また、金属静電焼付塗装、NC加工機による高精度な機械加工、アルミ・鋳物の機械加工、さらには最先端の5軸加工、マシニングセンター、NC旋盤など、まさに何でもありの現場なのだ。そして常に、協調し合い、かつ良い意味での競争をし合い、かつお互いに励まし合ってきたメンバーであり、組合運営にも協力し合っている」(田葉理事長)
新利根工業団地の敷地面積は7万4545m²であり、建物はすべてを合わせて延べ2万4520m²となっている。茨城圏央道稲敷インターチェンジから車で約10分というロケーションにあり、一番の強みは成田空港からたったの30分で着くという至便性である。
筆者はこの団地をしっかりと視察させていただいたが、まさにサプライズの連続であった。かつての京浜工業地帯が持っていたような熱気と泥臭さ、さらには匠の技とも言うべき人たちの製造の姿に心を打たれた。ここには伝統的なニッポンのモノづくりが残っているのだ、との思いが強くなった。
田葉理事長に対し、これからのニッポンのモノづくりは世界と戦えるでしょうか、という質問をしたところ、しっかりとした目線でこういう答えが返ってきた。
「この団地には8つの会社が寄り添うようにして500人が働いている。120億円の仕事をこなしている。トラクターは1万点の部品を必要とする製品であり、そのほとんどがカスタマイズされている。大量生産を追求すれば、中国をはじめとするアジアには勝てないかもしれない。しかして、1つ1つに魂を込め、胸にモノづくりの責任感を掲げ、すべてはお客様のために死に物狂いでやる、というニッポンのモノづくりは必ず残っていく。これから、安全性と品質が追求されるという時代が必ず来るからだ」
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泉谷 渉(いずみや わたる)略歴
神奈川県横浜市出身。中央大学法学部政治学科卒業。35年以上にわたって第一線を走ってきた国内最古参の半導体記者であり、現在は産業タイムズ社 社長。著書には『自動車世界戦争』、『日・米・中IoT最終戦争』、(以上、東洋経済新報社)、『これが半導体の全貌だ』(かんき出版)、『心から感動する会社』(亜紀書房)、『君はニッポン100年企業の底力を見たか!!』(産業タイムズ社)など27冊がある。一般社団法人日本電子デバイス産業協会 理事 副会長。全国各地を講演と取材で飛びまわる毎日が続く。