電子デバイス産業新聞(旧半導体産業新聞)
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第392回

「今やらねばいつできる。わしがやらねば誰がやる」がすべてのキーワード


~ロームの生産現場の立役者、不破保博氏が語る言葉はすばらしい~

2020/7/17

 1974(昭和49)年のことである。京都府立桃山高校を出て、立命館大学理工学部に進んだ一人の青年が、京都のあるベンチャー企業の門を叩いた。この頃は、まだ激しい学生運動の名残も残っており、オイルショックの影響もあったことから、大手の採用があまりなかった。しかも、この青年はフェンシングの競技に取りつかれており、就職の時期を逸してしまったのだ。

 大学の推薦で入れるところは、わずか1社しかなかった。それは東洋電具製作所という会社であった。この青年は、まさにラジオ少年として育ち、一石ラジオ、さらに二石ラジオを自分で作り、アマチュア無線もすべて自前で立ち上げてしまった。そしてまた、もう1つの特技はパチンコであった。釘を読み、弾道を読み、親指だけを動かし、天穴の釘だけを見つめ続けて、すごい時には月10万円も稼いだ。ちなみに、その青年が入った会社の初任給は7万5000円であった。

 はてさて、その青年の名は、不破保博というのである。後に東洋電具製作所から社名を変更したロームのLSI生産本部副本部長までいった男である。

 「入社した頃は、とにかく金がなかった。不渡りを出すとまで言われた。2インチウエハーで1日30枚くらいしか流さない。どうにも暇で仕方がない。社員は400人くらいしかいなかった。それでもこの会社に賭けるしかない、と思い詰めた」

 まるで遠くを見るかのような目で当時を思い返す不破保博氏は、ロームというベンチャーカンパニーが、一流の半導体企業になっていく有り様をその目で見てきた。そしてまた、自ら生産の現場、プロセスの現場の真っただ中でひたすら戦ってきた人なのである。

 「大手の半導体企業と違って、とにかくロームには金がなかった。ここぞという時に大型投資をしたくても、できなかった。そこで考えたのは、一番初めに利益率を考えることであった。次にコストを考える。そして、装置にいくら回せるかを考える。そうして計算していけば、とても新品の装置は買えない。そこで、中古装置を買って、ひたすらカスタマイズに合わせ込む方法を考え付いた。おそらく自分は、日本の半導体企業で初めて中古装置を買うことを実行した人間だろう」

 不破氏は苦笑いをしながら、こうつぶやくのであるが、実のところ、この「お金がない」というところが重要なのだ。中古装置をひたすら使い回して頑張ったロームは、やがて日本の半導体メーカーで断トツの利益を上げる会社として、毎年のように話題になっていく。しかしてそのルーツは、「お金がない」からひたすら工夫するしかない、というところに行き着くのだ。もちろん、世の中の装置メーカーと親密な付き合いを続けて、そのプロセス上のノウハウや部品の重要性をひたすらに学び、蓄積していく。そのことは、世界にその名を知られるロームという半導体カンパニーを作り上げていくことになる。

 「ひたすら中古装置を買うということを続けたが、そのうちに装置は自分で作ってしまえ、という雰囲気になる。その方が合わせ込みやすいという理由もあったが、中古装置の価格が非常に上がってきたことも原因ではあった。何でも作った。CVD、エッチャー、拡散炉、スパッタ、自動搬送機など、これだけの装置を自ら作り上げてしまう半導体企業は世界中を探してもロームしかいないだろう。まあ、はっきり言って、インプラとステッパー以外はすべて作ってしまった」(不破氏)

 不破氏の武勇伝ともいうべきエピソードは数多くある。ミックスドシグナルLSI製造部長の時には、ローム本体の利益の30%を稼いだ男として有名になる。また、赤字体質の続くヤマハから浜松工場を買収し、大きな利益を出す工場に仕立て上げる。さらに言えば、韓国の現代電子が傾いた時に、中古装置を1フロア分、かなりの安値で買い付けて契約してしまう。

 7年前に一旦定年になってアドバイザーの任に就いたがその後半導体技術を応用した世界最小抵抗器やダイオード、ホールセンサー等数々の高収益製品を生み出し、これは現在も会社の利益に貢献している。
 「サラリーマンは定年からが面白い」は不破氏の言葉である、リスクはあるがチャレンジャブルな事に邁進出来るのは失うものがなくなってからである。

新たなステージに飛び出した不破保博氏
新たなステージに飛び出した不破保博氏
 そうした戦いの現場にいた不破氏は、この3月にようやくロームを離れて、アンカービジネスシステムズという会社に移籍することになった。常務執行役(京都支社長)という任につき、新たなステージで半導体業界に貢献していく構えなのだ。時あたかも、ロームを創業した名誉会長の佐藤研一郎氏が逝去された。不破氏に、佐藤氏とはどういう人だったですか、と聞いたところ、これまた苦笑を浮かべながら、しかして明るくこう答えたのだ。

 「ロームという会社には、社歌もない。社是もない。社章もない。ただ1つだけあるのは、創業家の佐藤研一郎さんの言葉だけだ。私は今もその言葉を胸に刻んでいる。“今やらねばいつできる。わしがやらねば誰がやる”。この佐藤さんの言葉を高く掲げて、ロームという会社で戦ったことは、まさに黄金の日々であったのだ」


泉谷 渉(いずみや わたる)略歴
神奈川県横浜市出身。中央大学法学部政治学科卒業。35年以上にわたって第一線を走ってきた国内最古参の半導体記者であり、現在は産業タイムズ社 社長。著書には『自動車世界戦争』、『日・米・中IoT最終戦争』、(以上、東洋経済新報社)、『これが半導体の全貌だ』(かんき出版)、『心から感動する会社』(亜紀書房)、『君はニッポン100年企業の底力を見たか!!』(産業タイムズ社)など27冊がある。一般社団法人日本電子デバイス産業協会 理事 副会長。全国各地を講演と取材で飛びまわる毎日が続く。
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