学力低下が叫ばれて久しい。ニッポンの競争力が失われて久しい。そしてまた、高級ワインから角ハイボールに切り替える人が多くなって久しい。
それはさておき、子供のころに一番いやな授業の時間は理科であった。理科のどういうところが、とよく聞かれるが、要するに何もかもがいやであった。カエルをメスで切り裂いて解剖するときなんぞは、恐ろしくて見ておられず、「ああ神よ、この残酷な人たちを許したまえ」と祈っていた。昆虫採集は大の苦手で、クワガタを指につかまされただけで「わぁー、やめてくれ」と絶叫マシンに化してしまう。すべての物質には抵抗があり、強く押せば反発がある、と理科の先生に教えられた。運動会の折にクラスで一番かわいい女の子のお尻(ただし、背中に非常に近い部分)をほんの弾みで軽く指で押したところ、「なにをしているのよ」とわめかれ、ぶん殴られてしまった。
こんなに理科が嫌いであった自分が、半導体報道の世界にのめりこむことになろうとは夢にも思っていなかった。かなり前のことであるが、筆者がテレ朝のニュースステーションに出演し、半導体などの状況をしゃべったこともある。それをテレビで見ていた先生が、あの理科のできない泉谷クンが何を言っているのだ、と驚嘆とあざけりの声を上げたことを、後から友達に知らされた。
これだけ理科が嫌いな泉谷クンでも中学校に進んでからは、半田ごてを手にし、めっき付けなどをいそいそとやっていたときもあるのだ。このころになると、意外とモノづくりは面白いかもね、などと思い始めた。
ところが、である、先ごろ有名な大学の特別講義に呼ばれ、学生さんたちと交流させていただいたことがある。電子工学を学ぶエリートの諸君に対し、筆者は「君たちは日本の将来を担う宝物だ」などとほめ上げ、歯の浮くようなお世辞を連発した。つい何の気なしに、半田付けして何か作るって楽しいよね、といったところ、くだんの学生の何人かが、半田付けってなんですかと言い出した。途端に筆者の額には脂汗がふき出し、電子工学の学生が半田付けをやったことがないのかと、わめきそうになったが、我慢して言葉を飲み込んだ。
こうした笑い話をしていたところに、システムLSI技術学院の学院長である河崎達夫氏が訪れてきて、「モノづくりの感動がないのは、手で動かし、指でつまみ、実際に面白おかしく作ってみる、という経験が若い人たちに不足しているからだ」と強く強調された。河崎氏によれば、いまどきの子はテレビゲームは一生懸命やるのに、電気・電子の面白さは体験できない、と指摘する。何ごとも自分の手を汚して面白い。これをやらないから新しい発想が出てこない。与えられた仕事しかできない。エレクトロニクスメーカーだけではなく、多くのモノづくりの現場で企画開発力の弱さが指摘されるが、手作りで一生懸命作るという原体験がないことも大きな要因になっているのだろう。
河崎氏は、小中学生、高校生、大学生、さらには中小企業や大企業の若手たちに楽しく学べる電気電子の基礎知識をなんとしても普及させたいとの思いから、まさに手作りで先ごろ「電気・電子実験室」という学習キットを作り上げた。これはサイプレスのプログラマブルシステムオンチップを採用し、わかりやすい実験テキストと電子パートをつけて、発振機能や波形動作などをリアルタイムに体験できるという驚くべきキットなのだ。実物を拝見したが、まさに「作った!動いた!感動した!」という世界であり、現在のエレクトロニクス知識の普及に対し、大きな武器になるなと実感した。製造・販売は河崎氏が深くかかわる半導体ベンチャー企業の(株)MGIC(エムジック)(大阪市淀川区西中島3-12-15 第5新大阪ビル604、Tel.06-6195-8680)が担当。価格は1キットで2万1000円。100台をパイロットとして出荷し、まず当面は1000台までは普及させたいという。
「もし、この学習キットが100万台出れば、ニッポンの社会は確実に変わってくる。学びの現場やモノづくりの現場で、考えて実験するという気風がみなぎってくる。黄金の国ジパングをよみがえらせるには、教育から手をつけなければならない」(河崎氏)
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泉谷 渉(いずみや わたる)略歴
神奈川県横浜市出身。中央大学法学部政治学科卒業。30年以上にわたって第一線を走ってきた国内最古参の半導体記者であり、現在は産業タイムズ社社長。著書には『半導体業界ハンドブック』、『素材は国家なり』(長谷川慶太郎との共著)、『ニッポンの環境エネルギー力』(以上、東洋経済新報社)、『これが半導体の全貌だ』(かんき出版)、『心から感動する会社』(亜紀書房)など19冊がある。日本半導体ベンチャー協会会長。全国各地を講演と取材で飛びまわる毎日が続く。