電子デバイス産業新聞(旧半導体産業新聞)
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第1回

ミッドウェイ沖敗戦の屈辱は忘れない


~半導体世界一を目指した男たちの物語は壮絶~

2012/7/2

戦艦大和(レプリカ)
戦艦大和(レプリカ)
 「太平洋戦争のターニングポイントとなったミッドウェイ沖海戦の敗退は決して忘れない。戦艦大和を始めとするわがニッポンの連合艦隊は世界最強といわれたが、なにしろレーダー技術がなかった。く、くやしい。今でも夜も眠れない」。
  こう語っていたのは、かつて海軍技術研究所において、通信技術に携わっていたエンジニアであった老人である。今は、古ぼけた老人となっているが、かつてはニッポン半導体全盛期の80年代後半に大暴れをした半導体メーカーの要人のひとりであった。
  ところで筆者は、ボロボロの取材ノートを引っさげ、34年間にわたる取材活動を続けているが、若いころはよく「ジジ殺し」といわれたものだ。とっつきの悪い半導体の幹部は、若造の記者を全く相手にしてくれない。アポを取っても逃げまくる。何とか約束を取りつけ取材に行っても、美人の女性秘書が「緊急の幹部会議でお出かけです」と冷たく言い放ち、要するに取りつくしまがないのだ。
  こうした折によく持ち出したのが、太平洋戦争のネタであった。「レイテ沖海戦においてなぜ戦艦武蔵は敗れたのでしょう」「あの海戦における栗田中将の行動は不可思議でしたね」「最後の戦闘機である紫電改は、なぜ67機しか作らなかったのか」、などという質問を浴びせれば、太平洋戦争を経験している年老いたメーカーの幹部は、必ず遠くを見るような視線となり、こうつぶやくのだ。「そうなのだ。泉谷クン、そこが問題だ。もっと議論をしようではないか」。この手でどれだけ多くのジジ殺しをして特ダネを取ったか数知れない。
  12年ほど前に、「日本半導体50年史」という本を編集していたころに、恐るべきある事実が浮かび上がってきた。シャープにしろ、東芝にしろ、NECにしろ、当時の半導体事業部の幹部の多くはみな海軍技術研究所の出身だったのだ。そうしたひとりに、なぜみんな海軍だったのですかね、と質問したところ、冒頭のような答えが返ってきたのだ。つまりは、軍艦を作る技術では世界一流であり、またゼロ戦や隼を作る航空機技術でも群を抜いていたのに、日本は惨めなばかりの敗戦の日を迎える。そのすべての原因はレーダー技術がなく、軍艦にしろ、飛行機にしろ、敵方にすべてのポジションが把握されてしまう。今風でいえば、半導体・エレクトロニクス技術で遅れを取ったニッポンは、戦争に負けた、と彼らは言いたいのだ。
  悔しそうに眼を泣きはらしながら、ミッドウェイ敗戦のことを延々と語り続けるかつての海軍エンジニア(そのころは世界最強といわれたニッポン半導体メーカー某社の幹部)に対し、次のような質問をぶつけてみた。
  「それではこういうことですか。レーダー技術やIT技術がなく、敗戦を迎えた海軍技術研究所の多くが、復讐を誓ったということですか」。
  間髪をおかずその元海軍エンジニアはこたえた。
  「そんなことは決まっとる。ミッドウェイの恨みを半導体ではらしてやる。必ず米国をコテンパンに叩きのめして勝ってやる」。
  ニッポン半導体が世界シェア50%を超え、世界チャンピオンに君臨した80年代後半の話である。 しかして、これまた今は昔の物語となってしまった。国内半導体メーカー大手12社の2011年度生産額は、実に前年比22%減の3兆9000億円に急落、まさにニッポンひとり負けの様相を呈している。この姿を、戦争に負けて半導体世界一を誓った男たちは草葉の陰でどう見ていることだろう。


泉谷 渉(いずみや わたる)略歴
神奈川県横浜市出身。中央大学法学部政治学科卒業。30年以上にわたって第一線を走ってきた国内最古参の半導体記者であり、現在は産業タイムズ社社長。著書には『半導体業界ハンドブック』、『素材は国家なり』(長谷川慶太郎との共著)、『ニッポンの環境エネルギー力』(以上、東洋経済新報社)、『これが半導体の全貌だ』(かんき出版)、『心から感動する会社』(亜紀書房)など19冊がある。日本半導体ベンチャー協会会長。全国各地を講演と取材で飛びまわる毎日が続く。
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