女性週刊誌の「女性自身」の記者が取材を申し込んできたことがある。泉谷クンのようなおじさん記者に何を聞くことがあるのか、といったところ、「日本の企業は長寿で大活躍」という特集を組みたいので協力してくれとのことであった。そんな記事を女性自身の読者が好むのかといぶかっていたら、「日本の女性は長寿世界一」という特集記事の添え物記事であることがわかった。
数日後に、出版元の光文社の女性記者が息せき切って現れ、取材協力ありがとうございます、と礼を述べた。筆者は稀代のひねくれ記者であるからして、「日本の女性が世界一長生きなのは図々しいからだ。ツラの皮が厚いからだ。だいたいが、自己中女は長生きなんだよ」とまくし立てたところ、怒りを込めた眼でその女性記者は黙ってしまった。
それはさておき、この記者が訪れたのには理由がある。筆者は数年前に、『100年企業、だけど最先端、しかも世界一』(亜紀書房)という本を書いたことがあり、100年以上存続するニッポンの企業カルチャーについて、詳細に論理展開したことがあるのだ。この本を読んで、それなりに感動した女性記者が筆者本人に会って、そのあまりの下品さにがっかりしたことはいうまでもない。
実のところ、100年以上の歴史を持つ企業は、韓国には5社しか存在しない。5000年の歴史を持つ中国においても1000社しかないのだ。帝国データバンクの調べによれば、この日本には創業100年を超える企業が実に2万社以上あると指摘している。つまりは、世界一の長寿大国であると同時に、企業もまた長生きで、しかもイキのいい会社が多いのだ。
100年企業のシャープも最近は
液晶TV「アクオス」で苦戦している
ところが残念ながら、100年企業もまた多くの苦難のときを迎えることがある。今から100年前の1912年に創業したシャープは、腰に巻くバンドを止めるための新たな方法論としてのバックルの発明で地歩を築いた。その2年後には、鉛筆をいちいち削るのはかったるいとの考えから、繰り出し鉛筆を発明し、その商品にシャープペンシルと名づけた。今日世界中の人が使っているシャーペンの誕生である。1925年には国産第1号の鉱石ラジオを開発し、1953年に至ってわが国で初めての白黒テレビの受信機の量産を開始する。その後、電卓で大ヒットを放ち、最近ではアクオスのブランド名で液晶テレビの国内チャンピオンにまでのし上がったのだ。そのシャープがもろくも崩れた。過剰投資による採算悪化でついに主力の堺工場は台湾企業のホンハイに出資を仰ぐところまで追い詰められた。この3月期は創業以来の大赤字であり、厳しい局面を迎えている。
同じく、2010年に創立100周年を迎えた日立製作所も2009年3月期には日本の製造業始まって以来の8000億円という巨大赤字を計上し、マスコミにはメチャクチャにたたかれた。しかしながら、ここにきては一気にV字回復している。最も得意とする社会インフラに集中し、得意でないものはすべて切り捨てるという戦略が功を奏し、この3月期は国内電機メーカーの中では最も高い黒字を計上するに至った。シャープの場合、身の丈にあった経営を選ばず、液晶製品に目一杯投資し、結果としてサムスンなどのアジア勢の前に大苦戦を強いられている。一方の日立はリーマンショックで一敗地にまみれたものの、お家芸に本業回帰するというやり方で、見事に復活を果たした。
エレクトロニクス分野には多くの100年企業が存在する。東芝は創業が明治8年(1875年)という古さで、130年にわたる長い歴史を持つ。東芝の場合は、10年ごとに切ってみれば、すべて違うことをやっているというほど変身が速い会社なのだ。NECも沖電気も、任天堂もみな100年企業であり、多くの波風を受けながらも今日もなおその存在感を保っている。
さて、100年企業に共通の社風とはなんだろう。まずは、誤解を恐れずにいえば、おっとりとしている。ギスギスしていない。そうであるがゆえに、ロングレンジでものを考える。これが、長生きさせる最大の要因だ、といってよいだろう。つまりは、眼の前のことだけで戦略をたてず、10年~30年の先を見据えてじっくりと事業に取り組むのだ。また、原点に回帰しながらも常に革新を継続する。そして、何よりも大切なことは、とにかく人を大事にするカルチャーがある、ということだ。
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泉谷 渉(いずみや わたる)略歴
神奈川県横浜市出身。中央大学法学部政治学科卒業。30年以上にわたって第一線を走ってきた国内最古参の半導体記者であり、現在は産業タイムズ社社長。著書には『半導体業界ハンドブック』、『素材は国家なり』(長谷川慶太郎との共著)、『ニッポンの環境エネルギー力』(以上、東洋経済新報社)、『これが半導体の全貌だ』(かんき出版)、『心から感動する会社』(亜紀書房)など19冊がある。日本半導体ベンチャー協会会長。全国各地を講演と取材で飛びまわる毎日が続く。