出版不況と言われて久しい。多くの雑誌が休刊していったが、筆者の大好きな『ダ・カーポ』が出なくなった時にはかなり悲しかった。「この雑誌に書くことができたら夢が叶う」と思っていたが、休刊になる直前についに書かせてもらえた。切ない思い出ではある。
こうした出版一気凋落の状況下で、それをモノともしない出版社がある。それが文藝春秋である。いわゆる文春は、1923(大正12)年に作家の菊池寛によって世に出され、一般的には芥川賞、直木賞を選定することで知られている。通常ベースでも60万部近くは出ていると言われ、史上最年少の芥川賞作家誕生(綿谷りさ、金原ひとみ)、お笑いの又吉直樹受賞の号などは軽々と100万部を超えるのだから凄いと言うしかない。
「闇将軍」といわれ絶大な政治力を誇っていた
田中角栄元首相(朝日新聞社提供)
筆者は大学時代からずっと文春の読者であるが、特に衝撃を受けた記事は『田中角栄研究―その金脈と人脈』であった。今やトップジャーナリストの立花隆氏が書いたものだが、結果的に田中角栄内閣退陣につながっていく。一国の総理大臣が、それも最強と言われた人が、たった1本のペンの力で追い込まれる。この事実を目にしたことが、筆者をモノ書きへの道に走らせた最大の要因であった。
かなり前のことであるが、筆者も『文藝春秋』に記事を書かせていただいたのだ。韓国サムスンの半導体に関する記事であったが、後に書籍にも収録されて、マジ言っちゃってえ、超嬉しかったことを良く覚えている。
月刊の文藝春秋も素晴らしいが、大衆的な人気は何と言っても『週刊文春』であろう。今日にあってコンビニ、駅頭に置かれている一般週刊誌は同誌のほかには『週刊新潮』しかなく、いかに不動の人気を持っているかが良く分かるだろう。週刊文春のセンセーショナルな記事は常に話題になってきた。月刊誌が格調高いことに比べ、週刊誌の方はかなり下世話な記事を書きまくっている。
自民党の大物政治家であった山崎拓氏の愛人告発による変態行為の記事はまさに仰天ものであった。「縛られるSM行為を強要された」「母娘の三人による性交を勧められた」などなど、すさまじいスッパ抜きのリポートにただただ驚かされた。AKB48は事務所社長の喜び組、ジャニー喜多川氏の男への歪んだ愛情と性的な虐待、朝日新聞の慰安婦報道はインチキ――こうした記事のラッシュはいつも人々をサプライズの時間、空間に連れて行った。
その是非はともかく、文藝春秋という会社に流れているスピリッツを一言で言うならば、やはり「反権力」「反体制」を貫く、ということであろう。スクープ連発の裏には「相手が強くても決してひるまない」「人間関係をぶち壊しても書くべきことは書く」「あらゆるものから等距離で常にど真ん中を目指す」という強固なる意思があるやに聞くのだ。最も重要なことは、その姿勢を多くの民衆が支えてきた事実なのだ。
この100年近い年月を「常にど真ん中」を走ってきた文藝春秋社に、今こそ敬服のエールを送りたいと思う。そしてこれからも、ひるむことなく書き続けてほしいと切に願っている。
それにしても、「書きたいことが書ける」という文春については、専門紙記者の一人である筆者としては、正直言って誠にうらやましいとしか言いようがない。どんなに素晴らしい取材をしても「あれはダメ。これはダメ。ここから先は全部オフレコ」と言われ続け、書きたいことの半分も表現できない記者たちも、実のところは多いのだ。
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泉谷 渉(いずみや わたる)略歴
神奈川県横浜市出身。中央大学法学部政治学科卒業。35年以上にわたって第一線を走ってきた国内最古参の半導体記者であり、現在は産業タイムズ社 社長。著書には『自動車世界戦争』、『日・米・中IoT最終戦争』、(以上、東洋経済新報社)、『これが半導体の全貌だ』(かんき出版)、『心から感動する会社』(亜紀書房)、『君はニッポン100年企業の底力を見たか!!』(産業タイムズ社)など27冊がある。一般社団法人日本電子デバイス産業協会 理事 副会長。全国各地を講演と取材で飛びまわる毎日が続く。