「これが韓国・器興に作る半導体メモリー工場の設計図です。日本が圧倒的にメモリーに強いことは良く承知している。しかして、国の発展を考えれば、私たちは何としてもやらなければならない。そして、本格的な半導体の立ち上げは日本企業の協力がなくしては決してできないことなのだ」
1980年代半ばの頃であったが、ゆっくりとした口調で、しかし鋭い視線で、その人は語ったのだ。土曜日の午後、人気のないサムスンの日本オフィスでの会合の場でのことである。筆者はまだ30代の初めであり、半導体記者としてはまだまだ力の足りなさを感じていた時期であったが、この発言、つまりサムスンジャパンの責任者の言うことを聞いて正直こう思ったものだ。
「歩留まり、品質、そして技術力の何を取ってもニッポン半導体の強さは世界で群を抜いている。とりわけメモリーは滅法強い。そしてまたステッパー(縮小投影露光装置)などの最先端装置においても、ニッポンは10年先を走っている。これから、韓国サムスンがニッポンに追いつくのは至難の技であろう」
あれから多くの年月が流れて、2018年段階でサムスン電子は半導体の世界チャンピオンとなり、世界3位にも韓国のSKハイニックスが入っており、まさにコリアン半導体は頂点を極めるに至った。そして、90年段階で世界シェアの50%強を取り、圧勝していたニッポン半導体は今や世界シェア8%程度しかないほどに後退した。いや、凋落したのだ。
一方で、日本の半導体製造装置は頑張った。おそらくは世界の装置生産の3分の1は担っており、その存在感はひときわ強い光を放っている。それよりもすごいのは日本の半導体材料業界だ。シリコンウエハーについては信越、SUMCOが世界シェアの70%を押さえており、フォトレジストについても同シェア80%以上を握り、フォトマスクもまた同50%以上で世界のトップを走っている。これらは、半導体生産に必要な3大基本材料であり、この分野で日本企業の名前は世界に鳴り響いている。
こうした状況下で、2019年7月4日、日本政府による半導体材料の対韓規制が発動された。規制されたのは、半導体やディスプレーの材料となるレジスト(感光材)、エッチングガス(フッ化水素)、フッ化ポリイミドの3品目だ。今後は個別契約ごとに日本政府の許可を取る必要があり、90日程度の時間がかかるようになる。これが、サムスン、SKハイニックスなど韓国の半導体メーカーに与える影響は決して少しくはないだろう。何しろ、半導体を作るには700の工程が必要であり、その中で1つの材料が欠けても製造することができないからだ。
ちなみに、一部のマスコミが(特に韓国が多いが)韓国制裁と書きまくっているが、これは制裁ではない。韓国に対する優遇措置を元に戻しただけであり、正確な記事を書く余裕を日韓のジャーナリストも持ってもらいたいものだ。また、日本政府は8月末にも韓国のホワイト国の指定を外すことになっており、理論的には、半導体ばかりではなく自動車産業、各種の重化学工業にまで対韓規制が拡がる恐れがある。韓国ジャーナリズムの言う「米国のファーウェイ制裁の10倍ショック」というほどに波紋は広がっている。
日本政府は「直接の関係はない」と言っているが、一連の徴用工をめぐる争議、レーダー照射事件、さらには根強い従軍慰安婦問題などが今回の措置の背景にあることは間違いない。また米国司法省は、韓国に渡った様々な先端材料が北朝鮮を通じて中国に流れている、という証拠をつかんでおり、米国政府が安倍政権に今回の措置を要請したとの見方もある。
産業タイムズ社は韓国の新聞社との間で
様々な合同イベントを立ち上げて来たが……。
それはともかく、対韓規制の強化で一体、誰が喜ぶのだろうか。嫌韓派のジャーナリズムは盛んに騒動を煽り立てるものの、これが長引けば日韓経済の両方が傷つくだけだ。2018年における韓国の総輸出の21%を占めるのは半導体であるから、サムスン、SKが止まれば、それはとんでもないことになるだろう。そして核心的な装置・材料を韓国勢に提供している日本企業にはかなりのマイナス成長をもたらすだろう。
サムスンが1年間で日本の部材企業から調達している金額は2兆円以上と言われており、いわば上得意のお客様に迷惑をかけるだけだ。東芝はSKハイニックスと強い共戦関係を築いており、こうした動きでヒビが入りかねない。
いま大切なことは、日韓政府共に冷静になって、話し合いの糸口をつけていくことだろう。今回のことで韓国に対して「ザマを見やがれ」と声高に叫んでいる人たちは、韓国企業と日本企業の強い結びつきを知らないのだ。そしてまた、半導体産業が世界を動かす最重要産業であることも、深くは認識していないのだろう。
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泉谷 渉(いずみや わたる)略歴
神奈川県横浜市出身。中央大学法学部政治学科卒業。35年以上にわたって第一線を走ってきた国内最古参の半導体記者であり、現在は産業タイムズ社 社長。著書には『自動車世界戦争』、『日・米・中IoT最終戦争』、(以上、東洋経済新報社)、『これが半導体の全貌だ』(かんき出版)、『心から感動する会社』(亜紀書房)、『君はニッポン100年企業の底力を見たか!!』(産業タイムズ社)など27冊がある。一般社団法人日本電子デバイス産業協会 理事 副会長。全国各地を講演と取材で飛びまわる毎日が続く。